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Last Update : 2009.02.01

<第一部:新幹線電気軌道総合試験車の誕生と変遷>
豊橋に停車中の6952A
*** 6952A 豊橋 2004.09.12撮影 *** T.新幹線電気軌道総合試験車の誕生
 東海道新幹線の開業を2年後に控えた1962年、待望の鴨宮モデル線が完成。早速試作車両1000形A編成とB編成による走行試験が開始された。そして、保線関係では在来線の軌道試験車をベースにした4000形が落成。これが後の921形である。高速運転における安全性を確立するための不可欠な存在だった。しかし、軌道測定だけでは新幹線を走らせることは出来ない。信号や電力等の電気関係の項目でも、同じく安全性が保障されなければならない。
 そこで営業開始を間近に控えた1964年、試験車両を浜松工場へと輸送。B編成は全検と共に4両全てを使った多機能の電気試験車に改造されることとなった。それが後の922形だ。当時は単に"T編成"としか呼ばれていなかったのだが、後継車の登場により"T1編成"と呼ばれるようになる。
1964年内には再度改造が行われて、前照灯・静電アンテナ共0系仕様に変更された。この時922-1の正面窓についても2枚窓に変更されたが、流線型に付けられた列車番号表示窓や256km/h達成の記念プレートはそのまま残された。
 一方、軌道検測だけはT1編成にその設備がなかったことから、引き続いて921形が担当。ただ、この921形にも自走出来ないという大きな欠点があったため、測定は終電後にディーゼルカーによって牽引して行わざるを得なかったと聞く。その結果、921形の軌道測定に合わせる形で922形による電気関係の測定も深夜に行われるようになった。
 けれども、このままでは営業列車と同等の測定結果を得ることは難しい上、夜間にこういった試験車両の為に線路を開けていては保線作業に支障をきたしてしまう。そこで提案されたのが、昼間に営業列車と同じ条件下で検査・測定の出来る総合的な試験車の投入案だ。それこそが1974年に誕生した922形(10番台)T2編成であり、日本初の電気軌道総合試験車に他ならない。このT2編成には当時の最新機器が導入され、営業時間帯に最高速度210km/hで検測可能な設備を有していた。『ドクターイエロー』という愛称はこの当時に付けられたものだ。
 その後、T2編成の増備車として1979年に922形(20番台)T3編成が製造された。こちらは0系の27次車(1000番台)と同時に発注されたため、T2編成とは違い小窓仕様になっている。その他の設備はT2編成と同様だ。
【資1.本線検測時刻表】
  (1990年頃)
922形本線
※試電983A
(2002年頃)
923形本線
※試電981A
東  京 20:12 11:00
 …  …  …
名 古 屋 22:11
22:12
12:37
12:38
 …  …  …
新 大 阪 23:18 13:30
所要時間 03時間06分 02時間30分

【資2.副本線検測時刻表】
  (2002年頃)
922形副本線
※試電983A
(2003年頃)
923形副本線
※試電3981A
東 京 19:16 09:10
 …  …  …
名 古 屋 22:16
22:17
12:01
12:03
 …  …  …
新 大 阪 23:33 13:16
所要時間 04時間17分 04時間06分
U.T4編成の登場とT2編成の引退
 20世紀も終わりに近づいてくると技術も格段に進歩し、社会はよりスピードと快適性を求めるようになる。新幹線も例外ではなく、国鉄の民営化と共に更なる高速化の波が訪れた。1992年には最高速度270km/hの初代『のぞみ』300系がデビュー。それに続いて1995年には営業運転速度世界一の500系が、1999年には快適性を重視した700系が営業運転を開始した。それに伴って、最高速度210km/hでしか走行出来ない922形は営業列車の本数の少ない夜間に走行せざるを得なくなってしまう。922形での検測技術で測定を続けることは限界に近かったのだ。
 そこで、新技術や高速運転に対応するために922形の後継者を導入することが決定。それが2000年に生まれた923形(0番台)T4編成である。このT4編成は前年にデビューした700系をモデルとし、270km/h検測が可能な構造となった。
 他方で、T2編成は2001年に引退を余儀なくされる。同編成の最終検測は2001年01月29日。同年09月11日に廃車回送が行われ、編成名削除が実施された。余談だが、廃車回送当日のT2編成の最後の雄姿が東京駅を映したTV中継に偶然映ったとも言われている。また、この時既にT3編成も3ヶ月に1度の副本線検測を担うだけとなっていた。
 左記の資料をご覧頂ければ分かると思うが、本線検測は922形に比べて923形の方が40分近く短縮されている。副本線検測は停車時間の兼ね合いから一概に比べることは難しいが、それでも923形の方は所要時間が短い。922形の場合は速度差が他の車両と最高で60km/hもあるため、日中に列車が密になった東海道を待避無しで走らせることはほぼ不可能だろう。振動状態等も210km/hと270km/hではかなり異なるため、営業列車と同等の条件下で測定することも儘ならない。
V.T3編成の晩年
 T2編成の引退後はT4編成が本線検測、T3編成が副本線検測を担う状態が2003年秋まで続き、T3編成はすっかり脇役的存在となってしまった。副本線検測時も1日目は東海道下り、2日目に山陽下り、3日目に山陽・東海道上りと3日掛かりの行程となった。だが、そんな中でも特に忘れられない功績が次の2回ではないだろうか。1回目は2003年03月15〜17日。この日はT3編成にとっての最後の本線検測となった日だ。T4編成が台検で浜工に入場していた関係で、予備車である彼の出番が回って来たというもの。この日ばかりは沿線にも多くのファンが駆け付けたことだろう。その後、2003年9月25日の副本線検測をもってT3編成は定期検測業務から引退した。
 2回目は2004年03月01日だ。この日は検測機器調整後の試運転で東京〜三島をそれも日中に1往復するという何とも珍しい行程だった。T3編成が東海道を日中に走行したのは数年振りのことと聞く。
V.T5編成の登場とT3編成の引退
 2003年10月以降のT3編成は常駐場所も東二両から博総車へと変わったため、博総車で余生を過ごす時間が増えることになった。
2004年06月23日には博総車→姫路→岡山→姫路→博総車という行程で山陽路を駆け抜けたT3編成。この走行は今でも忘れられない出来事の1つだ。この日はパンタグラフの検側灯も点灯してLCXの検測を行っていた。
 だが、同年夏にJR西日本がT3編成の後継車となる923形(T5編成)の発注をすると、いよいよ引退も現実味を帯びてくる。その頃からT3編成の走行日ともなれば駅や沿線には溢れんばかりのファンが集まるようになった。そんな中で更なるサプライズが私達を待ち受けていたことに気付かされる。それが、あの伝説の"Sunday T3"だ。2004年08月01日以後の数回に渡り、東海道上りの臨時回送が何と日曜日の早朝に行われるようになったのだ。JR東海、JR西日本両社からファンへのささやかなプレゼントといったところなのかもしれない。これによってさらに多くのファンが沿線へと詰め掛ける結果となった。沿線での最多記録は、2005年02月06日の浮島付近の約100名ではないかと思う。
 そんなT3編成だが、2005年04月17日に最後の上京を果たし、3週間後の同年05月09日に博多へと帰って行った。この日は彼にとっての東海道ラストランだっただけでなく、T4編成の本線検測とT5編成の試運転までもが行われ、史上最大の祭典となった。T3・T4・T5編成が同日に走行したのはこの日が新幹線史上最初で最後である。また、回送の途中にはダイヤ上T3編成が後続のT4編成を待避するという前代未聞の光景も見られたようだ。T3編成はその後2005年05月17日に山陽区間で最後の検測を行った後、T5編成が検測業務に就くまでの間予備車として博総車に留まり、同年09月30日をもって編成名削除、遂に廃車となった。現在は7号車が保存車として残存するのみである。
 一方、T3編成の後継車である923形T5編成は2005年03月16日付で落成し、すぐさま試運転が開始された。T5編成の外観はT4編成と殆ど変りないが、検査の際に使用するジャッキアップのための穴に始まり若干ではあるがT4編成との違いも確認出来た。


 
以上が新幹線電気軌道総合試験車の誕生から減税に至るまでの変遷を追ったものである。そして、次の第二部では私自身のDr.Yellowとの出逢いを振り返ってみたので、そちらの方も引き続いて御覧下さい。

*** 第一部:新幹線電気軌道総合試験車の誕生と変遷 終 ***



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