*** CONTENTS *** 01.March Onward 02.Try My Best


*** 遠征旅行記執筆にあたり ***
 2013年03月17日にE6系が営業運転を開始してからはや半年。その人気ぶりは留まるところを知らず、駅に赴けばE6系目当ての見学者も数多くいる今日この頃です。夏頃には主役の座をE3系から引き継ぎ、今や計17本の量産編成が代わる代わる営業運用へ投入されるまでになりました。05月末から始まった秋田車両センターへの甲種輸送も変わらずの人気ぶりで、輸送当日の駅や沿線は、毎回多くの人々で賑わっています。07月にZ13編成が輸送された際には、私も羽越本線へ足を運びましたが、田沢湖線・奥羽本線での姿とはまた違ったE6系の表情に大きな感銘を受けたものです。
 そこで、Z13編成の甲種輸送から二ヶ月半が経過した10月の中旬、今度はZ19編成の甲種輸送を追って再び東北地方へ出陣。東海道線・上越線・羽越本線を行くE6系の勇姿をここぞとばかりに沢山記録して来ました。
 さらに、甲種回送の追い掛けが終わった後は、秋田ディスティネーションキャンペーンの目玉にもなっていた『SL秋田こまち号』の勇姿も記録。E6系とC61形蒸気機関車の奇跡の共演も然りとこの目で見届けて来ました。全日車移動だった故に、撮影枚数自体はそれ程多くは無いですが、その分密度は非常に濃くなっているかと思います。是非とも最後までご覧下さいね。

 では、まず最初は2013年10月11日及び12日分の撮影紀行である『進撃編』からです。

11-1.夜更けに吹く紅い風
 戦いの幕開けは11日の夜更けでした。11日は夕方まで非鉄な用事が入っていたので、日没後暫くしてから関西地方を出発。途中の京都市内で仲間の方に拾って頂き、新名神〜伊勢湾岸道経由で愛知県東部に位置する三河三谷を目指します。現地に着いたのは23時半少し前。この時既に標的の9866列車は中線に入線済みだったので、早速臨戦態勢を整えて夜更けの駅にひっそりと佇むZ19編成の勇姿を記録します。


 ↑ 2枚とも、9866列車


 
 日没後の東海道区間で9866列車を狙うのはおよそ四ヶ月ぶりのこと。06月21日にZ11編成の輸送を安城で狙った際には、見学者が非常に多く編成写真を撮るのも一苦労だったのですが、今回はそんなこともなくまったりと活動出来ました。特に跨線橋から狙った一枚は、以前何方かのブログで拝見し一度は撮ってみたいなぁと思っていたカットでもあったので、無事手中に収めることが出来て良かったです。同駅で9866列車を撮影すると公共交通機関では岡崎までしか帰れないため、三連休前夜であっても人出が少なかったのではないかと思われます。9866列車の出発を見届けると、一旦線路を離れ浜松ICより東名高速へと流入。翌朝の決戦に備えて関東地方へと先回りです。と言いつつ、私は助手席で未明まで爆睡してしまっていましたが…(汗)。夜通し運転して下さった仲間の方には感謝感謝ですね。
12-1.石橋秋の陣
 未明にアメダスの雲量予測と睨めっこしながら向かった先は、小田原市内の有名撮影地です。ただ、晴れるか曇るか非常に際どい予報が出ていたので、現地に近づくまでは不安な気持ちで一杯でした。市内に入ると雲間から太陽が顔を出してくれている時間も徐々に増えて来たことから、漸くほっと一安心。とは言え、12日の小田原市上空は雲の流れが非常に速かったため、決戦の直前まで気は抜けませんでしたが…。案の定、Z19編成の想定通過時刻まで三分を切ったところで、太陽が雲隠れしてしまいましたしね(焦)。でも、小さな雲だったので、何とか通過前に抜け切ってくれました。これには本当に冷や冷やものでしたよ。その後程無くして標的の8860列車が登場し、いよいよ決戦の時を迎えます。
 ← 8860列車
 結果は無事に捕獲成功。いやいや、この場所に賭けて本当に良かったです。駿河湾の色も青空が反射して一層鮮やかになってますし。05月末の甲種輸送開始時からずっと撮ってみたいと思っていたカットだったので、とても嬉しく思っています。また、本戦の少し前には5032Mが一時間以上遅れて石橋の撮影地を通過。サンライズの遅れに関しては全く把握していなかったので、同時に狙い撃てて得した気分になりました。


 ↑ 5032M 3枚とも、根府川〜早川間にて


 ↑ 727M
 石橋での決戦を無事に終えると、甲種輸送の追い掛けはまたしても一旦中断です。横浜羽沢や新鶴見まで深追いすると、上越線内の有名撮影地へ余裕を持って先回り出来なくなる可能性がありましたからね。そこで、09時頃までは隣を走る東海道新幹線を撮影しながら少しばかり時間調整をしていました。その後は上越線岡部〜本庄間の撮影地を目指して、小田原厚木道路〜圏央道〜関越道を経由で北に車を走らせます。
12-2.本庄の決戦
 関越道を本庄児玉ICで下り、岡部〜本庄間の有名撮影地に到着したのは13時頃でした。流石は有名な場所だけありますね。人の集結様がこれまでの規模とは全く違います。線路に近い側は既に超満員だったので、サイド寄りの位置で陣を構え、標的の登場を待ちました。Z19編成が主役だと思っていた私にとっては、好都合の立ち位置です。あまり線路に近づき過ぎると、機関車が主体のカットになってしますからね。露払い役の875Mで明るさ等の最終確認を行うと、その数分後にはいよいよ決戦の瞬間がやって来ました。
 余裕を持って準備した甲斐あって、無事撮影に成功。快晴の青空に茜色が映えて、気持ちの良い一枚になりました。ここまで来て失敗…なんてことにならず、本当に良かったです。前撃ちに成功した後は、すぐに振り向いて、後撃ちも忘れずに記録しました。
2枚とも、9781列車 岡部〜本庄間にて ↑→   
 前撃ちに引き続いて振り向きざまに撮った割には傾くことも無く写ってくれたので、手を抜くことなく撮っておいて良かったです。天候も終始安定した青空だったことから、満足度の高い貴重な一枚となりました。また、E6系の甲種回送列車がこの岡部〜本庄間を昼間に走行した回数は、今回分を含めてもまだたったの二回だけ。そう言った観点からも、昼下がりの決戦の地を熊谷以北にした意味は大きかったのかなと思っています。


 ↑ 3630E


 ↑ 879M


 ↑ 列番不明
 標的の9781列車を撮り終えると、甲種輸送の追い掛けはまたしても一時中断です。9777列車の高崎操車発まではまだまだたっぷりと時間があったため、暫くは同じ場所に留まってE231系やE233系の勇姿を狙っていました。両系式とも、以前から一度くらいはまともに撮ってみたいと思っていたので、丁度良い機会です。一通りの撮影を終えると、夜の部までは暫しの休憩タイム。今回は車中二泊という強行日程だったことから、この間に仮眠も少し取りつつ、夜更けの戦いに備えました。
12-3.土合の合戦
 再び活動を開始したのは21時を回った頃。私たちが夜を徹して次に向かった先は、『日本一のモグラ駅』とも呼ばれている土合駅でした。この土合駅の下りホームは上越線複線化の際に新清水TNの中に設置されたため、駅舎から下りホームへ行くためには470段以上ある階段をひたすら降りなくてはなりません。その標高差は何と70m以上というのですから、唯々驚くばかりです。
 23時過ぎに現着すると、早速機材を担いで地底探検へと向かいます。階段を前にした第一印象はもう、とにかく深い…という一言に尽きました。降りる前にiPhoneで記念に一枚撮ってみたのですが、頂上からは下が遠すぎて見えないんですよね。いやはや、これには驚く他ありません。
 階段を下りて地下深くに位置するホームに到着すると、まずは静けさ漂う駅の様子を何枚か記録。初探訪の私にとって、その雰囲気はとにかく何もかもが新鮮でしたね。それが終わると、あとは緊張の面持ちでただひたすら9781列車の登場を待っていました。すると、01時を過ぎた頃にトンネルの中の空気の流れが変わり、遠くから一本の列車が接近。いよいよ待ち侘びた決戦の時を迎えます。


 ↑ 2枚とも、9777列車


 ↑ 9777列車 土合駅通過
 結果は何とか成功かな。これだけ撮れれば上出来でしょう。後ろのZ19編成を大きく写すために機関車をホームに被せるかどうか最後まで迷いましたが、その選択は正しかったのかなと個人的には感じています。また、折角なので後追いも狙ってみました。こちらはもう一台のカメラを駆使してバルブで一枚。E6系の特徴的な塗り分けもしっかりと写ってくれ、無事成功です。他の駅には無い独特な雰囲気の一枚を手中に収められましたし、おまけで撮った動画の仕上がり具合も十分でしたので、夜中に頑張った甲斐は大いにあったと思いますね。こうして土合での夜遊びを終えると、北上する9777列車を追い掛けて関越道に流入。翌朝の決戦に備えて、一足先に羽越本線沿線へと向かいました。




 
以上が旅の前半の10月11日及び12日の活動記です。こうして振り返ってみると、甲種輸送を追い掛けて短時間でかなりの距離を移動して来たことがよく分かります。さて、後半の13日及び14日は、羽越本線内での甲種輸送と、秋田ディスティネーションキャンペーンの目玉にもなっていた『SL秋田こまち号』の勇姿をとにかく追い掛けていました。そんな後半二日間の活動を綴った次の『奮闘編』も密度の濃い内容になっているかと思いますので、是非とも引き続いてご覧下さい。
*** 進撃編 終 ***



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