この第21章『混戦編』は2012年秋の東北遠征も終わりに近づく09月21日と、最終日の22日の二日分の活動を綴った撮影紀行です。失敗も多かったですが、締め括りに相応しい内容には仕上がっているかと思います。 |
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21-5.Revenge Match VS. S12 / S11 - 9883B |
盛岡で一晩ご一緒して下さった仲間の方とお別れすると、4106Bに乗車。21日の日中戦最初の舞台は18日に悔しい想いをしたあの北上です。雨模様の天気で晴れ間は期待出来なかったのですが、それでも斑模様になってしまうよりかはよっぽど良いですからね。現着後は18日と同じ構図で迎撃準備を整え、今度こそはという想いを込めて戦いに挑みました。 |
9883B → |
今回は列車が見えても明るさは変わらず。無事にリベンジ成功です。これで18日の悔しい思いも漸く晴れました。私的には雨のお陰で車体が一層艶やかになっている点も気に入っています。やはりこうでなくっちゃ。さらに、21日の北上での獲物はこれだけではありません。9883Bが発車して10分程経つと、今度は副本線検測のため新青森に向かうS51編成がやって来ました。 |
↑ 51B |
↑ 7927B |
こちらは少し緊張しましたが、難なく迎撃に成功。East-iに関しては前日の仙台に始まり比較的順調に捕えることが出来ていますね。これで北上での目的も達成です。停車中こそ足回りが写らない側でしたが、下2番線入線の方が光線状態が良く編成写真も押さえやすいので助かりました。7925Bは5分程足を休めた後に下2番線を発車。それを見届たら、私も4101Bで盛岡へ戻ります。 |
21-6.Mission Again |
10時15分に盛岡に着くと、下本線に鎮座していたS11・S12編成のパーツ撮りを早速開始。と言っても、これまでに外観に関しては一通り記録し終えていますので、今回は乗務員扉や窓越しに車内をちょっぴり垣間見てみました。 |
どれも長時間停車だからこそ狙える一枚ですね。造りは量産車も同じだとは思いますが、こんな些細な一枚でも試運転期間中の立派な記録かなと思っています。発車時刻の10分前には上りホーム東京方に移動し、お見送りの準備を開始。18日も同じカットを撮ってはいたのですが、実はそれも同日の北上でのカットと同様に雲の悪戯によって斑模様の寂しい結果に終わってしまっていたんですよね(泣)。 |
↑ 4枚とも、9883B - 9884B |
↑ 3017B |
18日に悔しい想いをした発車時のカットもこの日は無事撮影に成功。これでもやもやとした気持ちもすっきりです。下本線から逆走で出発していく光景に、心躍るひと時でした。さらに、9884Bが行った直後にはR1編成が3017Bで登場。この状況には思わずにっこりです。E6系の営業運転開始に伴い、同編成の余命も残り少なくなってきていることは確か。現役を引退してしまう前に、悔いの無い様その勇姿を追い掛けておきたいものです。 |
21-7.沼宮内の合戦 |
9884Bの発車を見送ると、併結編成の撮影は一旦終了。というのも、午後の9885Bは仙台折り返しのため、併結編成が次に盛岡にやって来るのは日没後だったからです。そこで、21日の午後は副本線検測で動いていたS51編成に照準を絞り、隣のいわて沼宮内へ。同駅へは2010年04月以来、実におよそ二年半振りの訪問となりました。到着後は一時間に一本の『はやて』を迎え撃ちながら、気ままに過ごす時間が続きます。 |
↑ 3024B |
↑ 3026B |
↑ 3021B |
撮ってて最初に感じたことは、E5系が増えたなぁということ。この時既にE2系が「探さなければ巡り会えない車両」になってしまっていたのですから驚きです。盛岡以北を走る定期列車の大半が既にE5系になっていたことは知ってはいたものの、実際にこの目で見るとその多さが一層際立って見えました。東の新幹線は世代交代が始まるとあっという間に入れ替わってしまう感じがしますね。3026Bが発車すると、次は本命のS51編成がやって来ました。停電検測のため、副本線が無くても停車します。ここでS51編成を狙うのは初めてだったので、気合いを入れてその勇姿を迎え撃ちました。 | |
7926B → | |
けれども、結果はまさかの失敗(溜息)。ピントの精度や明るさは良かったのですが、アングルが…(汗)。6両編成であることは重々に把握していたのですが、どうやら読みを誤ってしまったようです。 | |
その結果4:3のままでは画の右側が無駄に空いてしまい、バランスの悪い一枚になってしまいました。ランドマークでもある第一五日市TNを入れればいわて沼宮内らしいカットにはなったのですが、この時は思いつかず(汗)。う〜ん。悔しいなぁ。また機会を見つけてリベンジしたいところです。 次の盛岡方面の列車は15時22分発の3030Bだったので、それまでの間は再び気ままな撮影タイムです。すると、14時20分過ぎに時刻表には載っていない回送列車が登場。把握していない一本だったため、案内放送が入電した時には驚きました。やって来たのはピカピカのU18編成です。20日よりもまとまった迫力のある一枚に仕上がったので有難く思っています。足慣らし試運転はどうやら20日が最終日だったみたいですね。 |
↑ 臨回(列番不明) |
↑ 3025B |
↑ 3030B |
思わぬ収穫に嬉しさを覚えていると、その15分後にはJ12編成充当の3025Bが通過。J編成の若番も直に盛岡以北では見られなくなってしまうでしょうから、撮影出来て良かったです。そして、3025Bの通過から40分後。やっと乗車予定の3030Bがやって来ました。しかも、入線を狙ってみると14時過ぎに臨回で迎え撃ったU18編成ではないですか。これにはびっくりです。乗車した区間は盛岡までの一区間でしたが、同編成の初仕事に便乗出来たことが何とも光栄に思えたひとときでした。 J編成の若番は200系の後釜として順次上越新幹線へ活躍の場を移すことになるでしょうから、東北新幹線内でその勇姿が見られる機会もあと僅かなのかもしれません。 |
21-8.北上秋の陣 |
盛岡からは東北本線で北上に向かい、押さえてあった宿にチェックイン。併結編成の到着までまだ小一時間程余裕があったので、暫しの休憩タイムです。が、連日の疲れから思った以上にうたた寝をしてしまい、目覚めると9887B到着15分前…(汗)。遠征五日目ともなると流石に疲れもそれなりに溜まっていたのでしょう。9887Bは北上停車でしたし、急いで準備して行けば間に合う時間ではあったのですが、停車後は編成全景を写すことが困難であることや、その後の9788B-9789Bまでの時間が中途半端であることを踏まえると、急いだだけの成果は期待出来ないだろうという結論に。なので、9887Bの撮影は見送ってその次の9788B-9789Bで勝負を賭けることにしました。 19時過ぎにホームへ上がって準備をしていると、下りホームに回送列車到着の案内放送が入電。69Bの入線直前に併結編成が盛岡側から下2番線へ入線すると、いよいよ21日最後の戦いの火蓋が切って落とされます。 |
入線時は1号車端で構えていたので、S11編成側が尾灯に変わったところで全景を一枚。足回りまでは入りませんが、他の駅で狙うよりもすっきり撮れたかなって思います。盛岡方面からの折り返しは今回初めて目にする光景だったので、何だか新鮮な感じでしたよ。1号車側での撮影を済ませたら徐々にS12編成側へと移動。併合部では"S11"の編成表記を入れた構図で下2番線に鎮座する同編成を記録してみました。さらに、ホーム新青森方へと移動して前照灯に変わったS12編成も抜かりなく記録します。こちらは地に足を着きつつも、少し上目からパチリ。 |
長い鼻が強調される一枚に仕上がりました。この角度から見るE6系もなかなか格好良いですね。仙台方面への折り返し時とは違って、前照灯姿のS12編成をまったりと狙えたのはありがたかったです。17号車端での撮影を終えた後は、再び併合部付近へ。移動の合間に乗降扉の窓から車内を垣間見たところ、デッキには測定機器類の配線も這っていました。これも走行試験時ならではの光景です。 |
↑ 7枚とも、9788B - 9789B |
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併合部付近では、駅標とS11編成の編成表記を絡めて一枚。ブラインド全閉が怪しげな雰囲気を醸し出していますね。そして、このカットを撮り終えたところで、下2番線側へ回送列車発車の案内放送が入電。足を休めていた併結編成が盛岡へ向けて発車して行く様子を見送って、私の21日の活動にも幕が下りたのでした。 |
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22-1.混戦の朝 |
さて、ここからは日付が変わって、09月22日の撮影紀行です。2012年秋の東北遠征も遂に最終日。あっという間ですね。併結編成の走行試験があったことから、22日はそれを狙いながら徐々に南下することにしました。起床時刻は06時。相変わらずの早起きです。しかし、気合いを入れて迎え撃ったはずの9881Bは惜しくもピン甘のため撃沈…。う〜ん…。どうも調子がイマイチですね。どん曇りだったので、今思えば下り側から望遠で狙えば良かったなぁとも。まぁ、失敗してしまったものは仕方ないので、ここは気持ちを入れ替えて次戦の時を待ちました。今度は上りホーム新青森方に場所を移動。次こそは念入りに臨戦態勢を整えます。 |
← 9882B |
08時過ぎに交わした第二戦では、準備万端で挑んだこともあって無事に勝利を勝ち取ることに成功。架線ビームの写り込みも無く、ほっと一安心です。19日のリベンジにもなったので、粘った甲斐がありました。すると、08時過ぎには東京方面からU11編成の臨回も登場。こちらは構内を爆走する姿を流し撮りで狙ってみました。 | |
← 9705B | |
9882Bの通過から10分程しか余裕が無かったので焦ったものの、何とか捕獲に成功。日中にシェルター内で流し撮りをすることは今まで殆ど無かったのですが、スピード感を引き出すには持って来いですね。9705Bを仕留めた後は4106Bに乗車し、隣の水沢江刺を目指しました。 |
22-2.奥州水沢の陣 |
水沢江刺では、ホーム中腹に陣を構えて迎撃態勢を整えます。今回も2010年08月にS11編成の勇姿を捕えた時と同様の超望遠の構図で迎え撃つことに。ただ、決戦の時間まで30分程度しか余裕が無かったので、割かし焦りましたね。9883Bの前を走る3013Bには、R22編成が充当されていました。3013Bでピントの確認を終えると、あとは緊張の面持ちで決戦の時を待つのみです。そして…。 |
9883B → |
奮闘の結果、何とか思い描いた一枚に仕上がりました。水沢江刺と言えばやはりこの構図。ちょっぴりシャッターを切り遅れたようにも思いましたが、右側がかつかつにならなくて幸いでした。架線ビームの写り込みも無く、明るさも丁度良い感じで、自分としてはお気に入りの一枚です。 |
↑ 3013B |
↑ 3015B |
9883B捕獲後も、水沢江刺では後続の3015Bまで活動を継続。その3015BにはR25編成が充当されていました。今度の相方はE5系です。E5系登場から早くも2年が経ちましたが、E2系+E3系の定期『はやて・こまち』は2013年春の改正で既に過去帳入りしてしまっているんですよね。JR東日本の世代交代は本当にあっという間です。当たり前であるうちに、後悔の無いようにしっかりと記録しておくことの大切さをつくづく感じさせられます。 |
22-3.昼どきの苦悩 | |
水沢江刺での活動を終えると、4108Bに乗車して隣の一ノ関へ。昼どきの第四戦は、超望遠でシェルターに突入する直前を迎え撃ちました。が、しかし…。前走りの3020Bを仕留めた際に、架線ビームの影の位置をしっかり把握していなかったことが仇となり、本番は敢え無く顔にがっつりと影が落ちてしまう羽目に(溜息)。影を上手く交わした上で、かつシェルターへ入る直前に列車を仕留めようとすると、切り位置が超ピンポイントだったようです。 | |
3020B → | |
う〜ん…。遠征最終日というのに、どうも調子が良くないですね。しかし、立て続けに起こるこの不運な状況、何とまだこれで終わりではなかったのです。54Bで水沢江刺を発つと、今度は一気に郡山まで南下。次の第五戦では、陽の光もバッチリ期待出来そうで何よりでした。 |
昼休憩を挟んで臨戦態勢を整えていると、前走りの3027Bが登場。R17編成を先頭に勢い良く本線を駆け抜けて行きます。線路が僅かにカーブしているので、迫力満点な一枚に仕上がりました。 |
← 3027B |
3027Bを無事仕留めると、9885Bの登場まであと10分。第五戦を目前に控え、緊張感も徐々に高まります。第四戦のリベンジを何としても果たさねば…そんなことを想いながら決戦の時を待ちました。けれども、いつも以上に力んだことが災いし、2012年02月17日の300系装飾編成を迎え撃った際にやらかしたあの悪夢を再び繰り返してしまったのです…。迫り来るS12編成を前に、レリーズの動作不良でシャッタータイミングを逃し、結果不戦敗。一度ならず二度までもこの悪夢を経験することになろうとは思ってもいませんでした。文句なしの天候だったこともあって、9885B通過直後は言葉出ず。悔しさのあまり、本気でもう一日延泊しようか悩んだくらいです。こればかりは本当に悔しかったですね。 当初9886Bと9887Bは那須塩原で仕留める予定にしていたのですが、まさかの不戦敗でこのまま引き下がる訳にも行かず、結局9887Bまで居残ることになりました。とは言っても、不戦敗のショックはすぐには癒えず、暫くはカメラを手に取る気力が湧きませんでしたが…(汗)。 |
↑ 9615B |
↑ 9886B |
↑ 3033B |
仙台からの折り返し9886Bは上りホームから撮影。通過数分前に曇られてしまったものの、この時はそんなことは気にならないくらい、9885Bでの一件に後ろ髪を引かれていました。16時半頃には陽の光も徐々に赤みを帯び始め、日没の時が徐々に近づいて来ます。 |
22-4.Final Match VS. S12 / S11 - 9887B |
時刻は17時過ぎ。前走りの3033Bが通過して10分程経つと、いよいよその時がやって来ました。今度はレリーズを使うことなく直に勝負。泣いても笑ってもこれが2012年秋の東方遠征最後の決戦です。 |
9887B → |
何度目の正直でしょうか…。やっとリベンジを果たせました。とは言っても、光量不足の中撮ったため満足とはいかず。また同じ構図でS12編成を狙える機会があるかどうかは分かりませんが、もしその機会に恵まれれば、その時こそ本当の意味でリベンジを果たせたら良いなぁと思っています。 9887Bを狙い終えると、2012年秋の東北地方における活動も遂に終了。郡山からは148Bに乗車し、東京経由で中部地方へと帰還しました。 |
▼.第17章〜第21章執筆を終えて | |
2012年秋のこの六日間に渡る東北地方への遠征では、やはり何と言っても、S12編成の奥羽線・田沢湖線内における深夜時間帯の走行試験及び早朝の返却回送を迎え撃てたことが一番の収穫でした。私にとっては在来線区間内で走行試験を狙う初の機会だったこともあって、その光景はとても新鮮で、胸高鳴りながらS12編成の勇姿を追い掛けていたことがつい昨日のことのように感じられるくらいです。また、道中ご一緒して下さった方々のお陰様で、より一層旅を楽しむことも出来ました。この場をお借りして今回の遠征に関わって下さった全ての皆様方にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 ただ、今回の一連の遠征では気合の入れ過ぎなどで、いつも以上に悔しい想いをした回数が多かったことも事実ではありました。でもまぁ、たまにはそんな回もあるのかなと、ここは前向きに考えることにしましょうか。 |
これからもご来訪下さる皆様方のご期待に添えることが出来るように努力して参りますので、当サイトを末永く宜しくお願い致します。 さて、2012年秋の東北遠征から早くも半年が過ぎ、東北・秋田新幹線を取り巻く事情はこの春のダイヤ改正でまたしても大きく変わりました。一番の注目の的は、やはりE6系が営業運転を開始したことに尽きるでしょう。またそれだけでなく、E5系の営業運転速度が国内最速の320km/hに引き上げられたことも注目を集めましたね。これでE6系が増えれば、茜翠の風吹く新幹線の新時代がいよいよ本格的に到来することになります。一方で、これまでずっと秋田新幹線の主役の座を守り続けてきたE3系は、E6系の登場によって今後一年で一気に淘汰されてしまう運命に…。狙わないとE3系に遭遇出来なくなってしまう日もあっという間にやって来てしまいそうです(汗)。そうなる前にもう一度くらいは奥羽線・田沢湖線内でE3系の勇姿を狙いたものです。 |
それから、春先にかけて忘れてはならない出来事がもう一つありましたね。そう、この連載遠征旅行記の主役でもあったE5系の先駆者S11編成の新たな門出です。2012年の年末に遂に長期耐久試験を終え、量産化改造と全般検査を実施。二ヶ月の休みを経て、2013年02月28日にU1編成としての新たな門出を迎えました。"S11"としての在籍期間はおよそ三年半。これまで『後悔だけはしたくない』という想いを胸に、可能な限り同編成の勇姿を追い掛けてきたつもりではありますが、いざ"S11"としての歴史に幕を下ろすとなるとやはり寂しい想いで一杯になりますね。さらに、S11編成が量産化改造に回されたとなると、S12編成に関しても"S12"としての歴史に幕を下ろす日はそう遠くはないのかもしれません。ただし、S12編成に関しては、引き続き今後の動向を読めない状態が続いています。もしも可能ならば、もう一回度くらいは燦々と陽の光を浴びて鉄路を疾走するS12編成の姿を東北地方で捕えられたら嬉しい限りですね。 |
S編成を名乗る量産先行車がS12編成のみになってしまった今、この連載遠征旅行記が今後あとどれだけ続くかは私にも分かりませんが、もう一度S12編成と再会出来る機会に恵まれることを切に願い、今後の日々を過ごしていきたいものです。 |
*** 第21章 混戦編 終 *** |
2013.04.07 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS |
◆.追記 |
2012年09月にE5系S11編成・E6系S12編成を追い掛けてから、早くも10ヶ月近くが経った2013年07月下旬のこと。2013年05月から量産Z編成が甲種輸送で秋田車両センターへ搬入されるようになり、東北・秋田新幹線は益々注目の的になりつつあります。そんな中、私もE6系Z13編成の甲種輸送を始め、田沢湖線・奥羽線内で活躍を続けるE3系及びE6系量産編成や新幹線区間にて最後の追い込みを掛けるS12編成の勇姿を見届けるため、2013年07月25日から28日に東北地方へと出陣。三泊四日の旅程でその姿を記録して来ました。移動距離もそれなりにあったので、撮影時間は然程長くはなかったのですが、それでも密度は十分濃いかと思います。そんな2013年07月の東北遠征の模様をお伝えしているのが、次の第22章『掩撃編』と第23章『急追編』の二章です。それでは、引き続いてどうぞ〜。 |
2013.09.23 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS |
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