*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.March Onward 02.Try My Best-1st 02.Try My Best-2nd 03.Preparations 04.After the Gale
05.Mission Again 06.Quest for Dreams 07.Encounter 08.Endeavor to Fight 09.Decisive Stage 10.Return Match
11.Attack Agilely 12.Interception 13.Go on the Attack 14.Hard Fighting 15.Firsthand Inquiry 16.Attack Again
17.Fierce Battle 18.Miracles of God 19.Fierce Attack 20.After the Rubia 21.Confused Battle 22.Sneak Attack
23.Hot Pursuit 24.Immediate Attack 25.Heavily Chase 26.The Last Crusade 27.Epilogue  



*** 第17章〜第21章執筆にあたり ***
 2011年11月10日から14日に掛けてのE5系S11編成・E6系S12編成の撮影紀行が先の第14章〜第16章でした。年末年始の多客輸送期間を挟み、01月下旬にはS12編成の走行試験が再開。本格的な雪の季節に入り、終電後の田沢湖線・奥羽本線内を人知れず走り込んでいました。また、S11編成も02月には走行試験を再開。恒例の大宮試運転を繰り返す傍ら、時には仙台〜盛岡間でS12編成を従えて走り込みを続けていました。そして迎えた03月16日のダイヤ改正。E5系の営業運転開始から一年という節目の改正だっただけに、S11編成の量産先行車としての任務がそろそろ終わりそうな気配も何となく漂っていました。しかし、そんな心配も幸いにして杞憂で終わり、S11編成は改正後も"S11"のまま走行試験を継続。私もその知らせを耳にした時には、ほっと胸を撫で下ろしたものです。
 2012年度に入り、04月からはS12編成も大宮〜盛岡間で走り込みを開始。待望の耐久試験の幕開けです。ただ、大宮試運転が始まった当初はほぼ毎回S11編成を東京方に従えており、肝心のS12編成を好条件で仕留めたいと想っても、そうは問屋が卸さずでした。それでも、S11編成が"S11"のまま2012年上半期も元気に活躍してくれたことは、私にとっては大きな励みになりましたね。このまま夏を越えてくれれば、秋にでも走り込みを続けるS11編成やS12編成に再会出来るかもしれない…そんな期待を抱きながら過ごす日々が続きました。
 そんな中、梅雨明け近づく07月の上旬に私の下へ驚くべき知らせが入電。何と、S12編成が奥羽本線・田沢湖線内において、これまでにない驚きの行路で走行試験を行ったというのです。走り込む時間帯が終列車後という条件は今までと変わりなかったのですが、秋田〜盛岡間の送込&返却回送の時刻が従来と比べて大きく変わっていたのでした。前者はこれまでより二時間近く早い20時台盛岡発に、後者は一時間半以上遅い06時台盛岡着になっていたのです。
中でも私が注目したのは後者でした。というのも、S12編成は2010年07月に走行試験を開始しして以来、それまで一度も陽の高い時間に奥羽本線・田沢湖線内を走ったことが無かったんですよね。夏から秋にかけてなら、06時台は日の出からそれなりに時間も経っているため、陽の光を浴びて鉄路を駆ける同編成の勇姿を迎え撃つことが出来る…となれば、是が非でも出撃するしかありません。しかし、07月は下旬までどうにも動かせない予定が詰まっており、断腸の想いで出撃を見送らざるを得なかったのです。こればかりは本当に悔しかったなぁ(泣)。そのため、この時は秋口にもう一度同じ行路で走行試験を行って欲しいと切に願って、その後の日々を過ごしたのでした。
 すると、驚くべきことに、09月下旬にもS12編成が07月と同様の行程で奥羽本線・田沢湖線内における走行試験を実施したのです。となれば、今度こそ是が非でも出撃しない訳には行きません。そこで、09月も下旬に差し掛かろうとしていた17日、五泊六日という万全の態勢を整えて東北地方へと出陣。
新幹線区間内で走り込みを続けるS11・S12編成の勇姿と奥羽本線・田沢湖線内におけるS12編成の貴重な姿を可能な限り追い掛けて来ました。また併せて、旅の初日には2012年秋の東北遠征の序章として上越地方を経由して東北地方へと向かい、新潟にて定期運用終了間近のE1系の勇姿も記録しています。現地での主な移動手段が在来線や車だったので、一日当たりの撮影枚数は決して多くはないかもしれません。けれども、密度はその分とても濃くなっていると思いますので、是非ともご覧下さいね。

 ということで、今回も前置きがやたらと長かったですが、ここからいよいよ本編と行きましょう。では、まず最初は2012年09月17日及び18日分の撮影紀行に当たる第17章『激戦編』からどうぞ〜。

17-1.FDA371(JA03FJ): 名古屋小牧07時50分発→新潟08時50分着
 17日は始発列車とバスを乗り継いで名古屋小牧空港へ。今回の往路は、FDAの「ドリームスペシャル」という格安運賃にあやかって空旅です。片道5800円で夜行バスよりも安い値段とあらば、利用しない訳には行きません。では、何故東北地方へ行くためにわざわざ新潟を経由することにしたのか。その理由は、2012年08月の上信越遠征にありました。あの時は浦佐〜越後湯沢界隈を中心に撮影を行っていたため、新潟駅でE1系を狙えていなかったのです。そんな折に、FDAの格安運賃「ドリームスペシャル」を発見。これを利用して新潟に飛び、そこから岩手県内まで高速バスないし在来線を使って移動すれば、名古屋から新幹線で直接岩手県入りする行路と殆ど値段が同じということが分かり、新潟周りで出撃することを決めたのでした。
 空港に着くと、搭乗手続きを済ませて出発ロビーへ。そこから少しだけ停泊中の飛行機を狙ってみました。その後搭乗案内が始まり、係員の指示に従って紫色を纏ったJA03FJへ乗り込みます。この日の搭乗率は7割くらいでした。
 07時50分、定刻に名古屋小牧空港を離陸したJA03FJは、一気に高度を上げて雲の上を目指します。水平飛行に移ったところでベルトサインが消灯すると、アテンダントの方からパンとドリンクのサービスがありました。名古屋〜新潟便は短時間のフライトにも関わらず軽食サービスがあるので、何だか得した気分になりますね。軽食を受け取ってからは、着陸態勢に入るまで移り行く外の景色を眺めながら空の旅を楽しんでいたかな。
17-2.朱鷺風を追って
 空港に着くと、足早に荷物を回収して新潟駅へ。下りホーム東京寄りの一番先端で臨戦態勢を整えると、早速列車到着の案内放送が入電します。実はその列車こそが、一発目にして本命のE1系でした。明るさやピントを念入りに確認し、上本線を逆走して来たM6編成をいざ迎撃!!
1307C →   
 奮戦の結果、何とか迎撃に成功です。ここまで出向いた挙げ句ピン甘写真を土産に…なんてことにならず救われました。初めて狙った構図だっただけに、これが撮れただけでも行った甲斐があったというものです。入線を仕留めた後は折り返しの発車時刻までお気楽撮影タイム。その存在を一両一両まじまじと目に焼き付けながら、編成写真や形式写真を撮っていました。08月下旬から登場した朱鷺の雛ラッピングも忘れずに記録。


 ↑ 3枚とも、1322C


 


 
 1322Cの発車を見送ると、昼休憩を挟んで次は1317Cとの対峙の時。しかし、1317C充当のM4編成入線時は光線状態が今一で満足のいく成果は得られず終いでした…(溜息)。でも、臨回でやって来たK43編成との並びが撮れたので、ここはそれで良しとしましょうか。因みに、下本線に1317Cを追って入線して来たK43編成は9386Cの送込回送でした。


 ↑ 1326C & 9705C


 ↑ 1328C & 1326C & 9386C
 9705C到着から折り返し9386C発車までの間には上1番線に停車中のK51編成を絡めた3並びも撮影。定期運用最終日の09月28日には出撃出来ないことが既に分かっていたので、私にとってはこのひとときが営業運用に就くE1系の勇姿を見届けることの出来る最後の時間でした。それ故、幾らか撮影を楽しんだ後は発車時刻まで思い残すことの無いようその勇姿をじっと目に焼き付けていたように思います。そして、13時11分。発車時刻を迎えたM4編成はゆっくりと新潟駅を後にし、東京へと旅立っていきました。徐々に加速して行くM4編成を、その姿が見えなくなるまで見送り続けた私。E1系狙いの撮影者は私だけだったこともあり、最後は穏やかな気持ちで御見送りが出来たのは有難かったですね。
 1326Cの出発を見届けると当初は活動終了の予定だったのですが、10分後の1319CにK47編成が充当されているということだったので、それも併せて狙ってみました。


 ↑ 2枚とも、1319C - 8364C


 


 ↑ 1321C
 下本線入線だと尚良かったのですが、こればかりは仕方ないですね。最後は1321Cに充当されたP+P編成を迎撃。重連編成とも新潟では初めての顔合わせです。今度は待望の下本線入線だったので、良い感じの一枚に仕上がりました。
17-3.日本列島横断の旅:陸羽西線・陸羽東線経由で太平洋側へ
 新潟での戦いを終えると、2007Mこと『いなほ7号』に乗車。いよいよ7時間10分にも及ぶ日本列島横断作戦の始まりです。17日は翌日からS11・S12編成の試運転を狙うべく、一ノ関に宿を取っていたんですよ。そのため、【新潟→(羽越本線)→余目→(陸羽西線)→新庄→(陸羽東線)→小牛田→(東北本線)→一ノ関】という行路で北東北を横断することにしたのです。新幹線で一旦大宮に出るとかなり費用が嵩んでしまいますが、この行き方ならば7000円あれば行けてしまいますからね。今回は五泊六日という長丁場なので、頑張って節約してみました。一ノ関のホテルへは23時頃に着いたかな。チェックイン後は就寝準備を整え、翌日に備えて早めに床に就きました。

********************************** 電車運用 **********************************
 09/18
 仙台総車
 
 S11 
 
9880B - 9881B - 9882B - 9883B - 9884B - 9885B - 9886B - 9887B -
9788B - 9789B - 9890B - 9891B
 盛   岡
 
 S12 
 
9880B - 9881B - 9882B - 9883B - 9884B - 9885B - 9886B - 9887B -
9788B - 9789B
********************************* 電車運用 終 *********************************

18-1.早朝の一戦
 ここからは日付が変わって翌09月18日の撮影紀行になります。18日は06時には身支度を整え、足早に駅へ。狙うは始発列車の前走りで盛岡へ向かうS12・S11併結編成です。しかし、06時10分に新幹線改札に着いたところで早速問題が発生(汗)。何と一ノ関の改札は06時20分から開始だったのです(焦)。一方で、私が盛岡の着時を基に予測した併結編成の一ノ関想定通過時刻が06時22分。いやはや、これには参りました。ひょっとしたらホーム端に辿り着く前に通過して行ってしまうかもしれない…そんな際どい状況だったのです。とはいえもう為す術はありません。あとは何とか間に合って欲しいと切に祈りながら勝負を賭けるのみです。
 06時20分、改札開始。猛ダッシュでホームへ…といきたいところでしたが、ここはぐっと堪えて競歩でホーム端を目指します。06時22分30秒、何とか奇跡的にホーム端着。22分45秒、列車通過の案内放送が下りホームに入電。23分00秒、いつ併結編成が現れても不思議ではない状況の中、大慌てで構図を調整。23分15秒、明るさとピントの最終確認。23分30秒、遠くにS12編成と思しきHID灯が見える。残された僅かな時間でもう一度だけカメラの設定の最終確認。その間も320km/hで容赦無く迫り来る併結編成。そして23分40秒。…いざ勝負っ!!
   ← 9881B
 結果は奇跡的に迎撃成功。いやいや、まさに間一髪といった感じでしたよ。併結編成の通過があと十数秒早かったら、失敗作になっていたやもしれません。併結編成がシャッターポイントへ到達する直前に薄らと陽が影ってしまったことが悔しい点ではあるものの、この程度の光量差ならばそんなに気にはならないかな。無事合格圏内の一枚に仕上がってほっと一安心です。S11・S12両編成との再会の一戦がまさかこんなギリギリの決戦になるとは、この日の朝まで予想だにしていませんでした。
18-2.Mission Again VS. S11 / S12 - 9882B
 早朝の一戦を終えると一旦ホテルへ戻って朝ご飯タイムです。その後、今度は北上までの特急券を購入して再びホームへ向かいました。発車案内には「回送」の二文字。今度の一戦は停車です。320km/hでかっ飛んで行くと、仙台で前走りの4104Bに追い付いてしまうのでしょう。4104Bの盛岡発が07時13分。4104Bが仙台まで各駅停車であるとはいえ、9882Bはそれよりも30分以上遅い07時45分過ぎに盛岡を出るはず。


 ↑→ 3枚とも、9882B
にも関わらず、仙台で追い付いてしまうのですから、320km/h運転が如何に凄いかということが良く分かります。そんな9882Bですが、上りホーム新青森方から望遠で入線するところを仕留めてみました。今回はS11編成を強調したアングルで一枚。通過ならば超望遠でシェルターに入る直前を狙うのですが、停車なのでどう撮るか悩みましたね。早朝に一戦を交えた際にはまだ晴れ間のあった一関市上空も、08時頃にはすっかり曇り空(汗)。晴れてくれていたらもう少しすっきりとした一枚になったのでしょうが…。
 まぁ、こればかりは仕方ないですね。9882Bは10分程この一ノ関で足を休めた後、再び仙台に向かって走り去って行きました。それを見送ると51Bに乗車して北上を目指します。しかし、この時の私はまだ行く先の北上に徒労神が待ち受けているとは思いもしていませんでした…。
18-3.徒労神の置土産
 51Bで北上に降り立つと、一ノ関とは打って変わって眩しい陽射しが辺り一面に降り注いでいました。幸先の良さを感じつつ、40分後に迫る第三戦に向けて態勢を整えます。次の9883B@北上も9882B@一ノ関と同様に停車だったので、2008年09月にE954形・E955形の併結編成を捕えた時と同じアングルで迎え撃つことにしました。一通りの準備を終えて少し休んでいると、時刻はもう09時15分。決戦の時が徐々に近づいて来ました。
 しかし、それまで穏やかだった辺りの空気にここへ来て不穏な気配が現れ始めたのです。そして、すぐにその嫌な予感は確信に変わりました。もう決戦まで5分少々しかない中で、それまで駅の南側に眩しいくらいに降り注いでいた陽の光が雲に阻まれ始めたのです。もうこれには言葉を失うしかありませんでした。それから1分と経たないうちに太陽は雲隠れし、辺りが暗くなったところで回送列車到着の案内放送が入電。もうがっかりですよね(溜息)。案内放送が終わって少ししたところで再び奥の方に陽の光が当たり始めたので起死回生を願うも、併結編成の速度に比べて晴れと曇りの境界が北上して来る速度が僅かに遅く…。
9883B →   
 結局は斑模様の中でも一番悔しい「顔だけ暗い」状態の一枚になってしまいました。あと10秒併結編成の到着が遅ければS12編成の顔までしっかりと陽の光が降り注いだのにと思うと、悔しくて仕方なかったですね(涙)。
どうやら早朝の一戦でこの日の運は殆ど使い果たしてしまったようです(溜息)。停車時間は10分近くあったのですが、どうにも写欲が湧かず一足先に新幹線ホームからは撤収。再び東北本線に揺られてのんびりと盛岡を目指します。
18-4.After the Gales
 併結編成の後を追って盛岡に着くと、下本線で折り返し9884Bとして発車を待つ姿を少しばかり撮影。E5系とE6系が併結して17両でホームに入線すると、ホームの端から端まで目一杯を使って停車することになります。そのため、全景を狙うのもなかなか大変でしたね。


 ↑ 3枚とも、9884B


 


 
 陽も徐々に高くなり、11時を回ったところで9884Bは発車時刻を迎えます。それを見送ると私の盛岡での活動も早々に終了の運びとなりました。というのも、9884Bは大宮へのロングランのため、併結編成が次に盛岡にやって来るのは日没後だったからです。でも、早々と撤収する理由は他にもありました。明るいうちに本命の戦いに備えてやるべきことがあったからです。それこそが、田沢湖線・奥羽本線のロケハンでした。盛岡〜田沢湖間にはこれまでに二回訪れていますが、大釜界隈で撮影可能な場所も把握し切れていませんでしたし、大曲〜秋田間の各駅までのおおよその所要時間も知りたかったので、貴重な日中の時間を準備に充てたのです。準備不足で本命の決戦に敗れては本末転倒ですし…。




 
ということで、第17章『激戦編』は切が良いここで終わるとしましょう。18日の夜から19日の朝に掛けて行われたS12編成の深夜帯走行試験の模様は、章を改め次の第18章『神跡編』でお届けしようと思います。17日の午前中は悔しい想いをしてばかりでしたが、それもあってか夜の決戦で得られた感動はとても大きいものでした。そんな18日の夜から19日の早朝までの活動を綴った撮影紀行が次の第18章『神跡編』です。E6系S12編成の奥羽本線・田沢湖線内での貴重な姿が沢山登場しますので、是非とも引き続いてご覧下さいね。

*** 第17章 激戦編 終 ***



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