*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.March Onward 02.Try My Best-1st 02.Try My Best-2nd 03.Preparations 04.After the Gale
05.Mission Again 06.Quest for Dreams 07.Encounter 08.Endeavor to Fight 09.Decisive Stage 10.Return Match
11.Attack Agilely 12.Interception 13.Go on the Attack 14.Hard Fighting 15.Firsthand Inquiry 16.Attack Again
17.Fierce Battle 18.Miracles of God 19.Fierce Attack 20.After the Rubia 21.Confused Battle 22.Sneak Attack
23.Hot Pursuit 24.Immediate Attack 25.Heavily Chase 26.The Last Crusade 27.Epilogue  



*** 第1章〜第2章執筆にあたり ***
 今は亡きE954形S9編成の本線最終走行日となった2009年06月15日、E5系量産先行試作車S11編成がその役目を引き継ぎ本線へと姿を現しました。このE5系は2010年12月に東北新幹線八戸〜新青森間が開業するのに併せて、JR東日本が同線区内を走る列車の更なる高速化と環境水準の向上を実現させるべく開発した車両です。2009年07月25日の仙総所一般公開においては敷地外東側の農道や体験列車の中からその姿を見ることが可能な配置となっており、私もそこで初めてその姿を目にしました。『常盤グリーン』と『パールホワイト』を基調とし、『はやてピンク』の帯を身に纏ったその姿はやはり印象深く感じました。しかしながら、本線を果敢に駆け抜ける勇姿を見たいという想いも早い段階で抱いていた私。そこでその勇姿を然りと見届けるため、2009年09月上旬から中旬に掛けて二度に渡る東北地方への遠征を挙行するに至ります。
 第1回目は09月03日〜04日、第2回目は09月17日〜18日で2回とも宮城県へと出撃して来ました。併せて第2回目の遠征では余命幾許も無い400系の勇姿も少しでも多く見届けようと走行試験明けに福島県及び山形県へも足を伸ばしています。前者のE5系の走行試験を写した写真には試験車両特有の暫定的な条件変更試験を記録したカットも掲載していますので、どうぞお楽しみに。
 また、この撮影紀行はE5系S11編成やこれから登場するE6系S12編成を今後も追い掛けて関東・東北・上信越地方へと遠征することを考慮し、前身となる『 Fastech360に夢を託して 』と同様に連載遠征旅行記として作成してあります。私自身、量産化改造される前のS11編成やS12編成に今後何回出逢えるかは分かりませんが、少しでも多くこの連載遠征旅行記も続けられたら…そう願っています。

 では、まず最初は2009年09月03日〜04日に掛けての撮影紀行である第1章『進撃編』からです。03日の往路が青春18切符での移動だったため第1章自体の量は少なめですが、内容の方は十分濃いかと思います。どうぞ最後までご覧下さいね。

************************** 電車運用 **************************
 09/03
 仙台総車  S11  9880B - 9881Bヨ - 9882B - 9883B - 9884B - 9885B
 09/04
 仙台総車  S51  ※7906B - ※7907B - ※7908B - ※7909B
************************** 電車運用 終 ************************

3-1.都の朝
 03日は毎度の如く9390Mを利用して上京し、06時頃には東北・上越新幹線ホーム(21番線)へ。早速活動開始です。まずは209Bの送込回送である616Bを捕獲。この列車にはポケモンラッピングの施されたP8編成が充当されていました。さらに、その後続で入線して来たN13編成とK46編成も迎え撃ちます。

 ↑ 616B


 ↑ 832E


 ↑ 726C
望遠で狙ったことで皆迫力ある出来に仕上がりました。21番線上野寄では意外にも今まで撮影したことがなかったため、新鮮な感じがしましたよ。そして、726Cの入線を撮影し終えたところでホームを降りて今度は東海道本線で西へと移動します。
 向かった先は小田原でした。目的は02日に公式試運転を行ったZ39編成の足慣らし走行を狙い撃つためです。さらにその後は三島で6Aを、再び小田原で29Aをそれぞれ撮影して03日の日中の活動を終了。尚、東海道新幹線内での写真は既にPhotoGalleryで公開済みのため、ここへの掲載は割愛させて頂きますね。
3-2.長旅の果てに
 小田原で14時頃まで活動した後は、いよいよE5系に出逢うべく東北地方へと向かいました。但し、09月03日〜04日の遠征の往路は青春18切符での移動。そのため、小田原から仙台までは何と約8時間半も掛かったんですよ。車中ではその大半を寝て過ごしていましたが、それでもとにかく長く感じたのはよく覚えています。
3-3.翡翠の風に誘われて
 仙台には22時過ぎに到着。ホテルへ一旦荷物を預けて、23時過ぎにはS11編成の走行試験を撮影するため再び駅へ。これがこの遠征での一番の目的ですからね。撮影準備を完了させ緊張の面持ちでその時を待っていると、下本線側に回送列車入線の旨を知らせる案内放送が入電。いよいよS11編成との決戦の時を迎えます。


 ↑ 9880B


 ↑ 9880B 仙台入線
入線は流し撮りで仕留めてみることにしました。緊張しましたが何とか決まってくれたので一安心です。停車後は限られた時間の中で、とにかく無我夢中でシャッターを切っていたように思います。
 まず最初に押さえたのはやはり何と言っても編成写真。折角足回りまで障害物無く見える番線に入線してくれたのですから、これを撮らねば話が始まりません。その後は一目散に10号車E514-1の八戸方客用扉付近に移動し、その辺りを重点的に撮影していました。
 というのも、E5系の両先頭車運転台寄りの客用扉はプラグドア構造を取っているのですが、08月下旬から09月中旬の3週間程度に限ってそこに手が加えられていたからです。プラグドア自体が取り外され、引き戸構造を模した赤色の鉄板が撤去部分に埋め込まれる形で仮設されていました。扉の周囲には数多くの配線類も固定されており、如何にも試験車両と言った感じの怪しげな雰囲気を醸し出していたのをよく覚えています。
 車外仮設が施されていた期間が主に擦れ違い試験を行っていた期間であったことを考慮すると、車内騒音や空気抵抗などの項目において元のプラグドア形状と数値の比較・検証を行っていたと考えるのが妥当でしょうか。
JR東海のZ0編成やJR西日本のS1編成同様に、このような試運転時の車外設備条件変更試験はその車両が試験電車として活躍した貴重な証になることから、私としてもその部分は是非とも押さえておきたい箇所でした。


 ↑ 4枚とも、9880B


 


 
 客用扉周辺の検知線の他に鼻先にも配線類が固定されていたため、それらも併せて撮影。鼻先に銀テープが貼られている光景もまた怪しさ抜群です。尚、この客用扉の条件変更の他にも各車両の台車カバーの形状が変わっていたのを確認しています。
 そうしてとにかく僅かな時間の間に無我夢中でS11編成の各部を撮影していると、駅での活動はあっという間に終了。今度は深夜時間帯の走行試験を狙うべく、宿泊していたホテルへと戻りました。
4-1.怪しい影が闇夜を切り裂く
 駅を出ると宿泊先のホテルへ。ホテルから深夜時間帯の走行試験を狙います。因みに、この日の擦れ違い試験の相手はE2系でした。ただ、光量不足故なかなか上手い具合に撮影が出来ません(汗)。03時過ぎまで粘りましたが、結局闇夜の中を疾走する怪しげなS11編成の姿を自分としては思うように捕えられず終いです。う〜ん…悔しいなぁ。


 ↑ 9881B


 ↑ 9873B


 ↑ 9882B
4-2.夜明けの翠風
 真夜中の走行試験を撮影し終えると少しだけ仮眠を取り、05時に再び活動を再開。09月04日の仙台市内の日の出は05時08分でしたので、辺りも少しずつ明るくなって来ていました。これなら満足のいくカットが撮れる…そう確信したひとときです。刻一刻と変わる明るさに対してカメラの設定を何度も確認しつつ、遠くにS11編成のHID灯が光り輝くのを待ちました。
それからS11編成が姿を現したのは間もなくのこと。緊張しつつもとにかく集中して勝負に挑みました。その甲斐あってか流し撮りも何とか成功。漸く満足のいく走行シーンを撮ることが出来て嬉しく思います。


 ↑ 3枚とも、9884B


 
 仙台への帰還風景を無事手中に収めると、最後は仙総所への回送を迎え撃ちます。この頃になると辺りもかなり明るくなっており、一層条件は良くなっていました。05時20分過ぎ、遠くから列車の走行音が聞こえ始めると再び決戦の時です。
仙台を発ち仙総所へと帰って行くS11編成も無事仕留めることに成功。行って良かったと改めて感じた瞬間でした。この時間帯に陽の光の下で撮れたのは09月上旬頃までの限られた期間だけですしね。


 ↑ 2枚とも、9885B


 ↑ 9885B 仙台〜古川間通過
そしてこの仙総所への回送を撮影し終えたところで、2009年09月第1回目の遠征におけるS11編成の撮影にも幕が下りました。あとはチェックアウトの時間まで暫しの仮眠タイムです。
4-3.迎撃、S51
 ホテルを10時頃に出て帰りの切符などを買い新幹線ホームへ。次なる獲物はS51編成の八戸検測です。仙台では下本線に逆走入線して来るため、上り側から迎え撃つことに。


 ↑ 7906B


 ↑→ 2枚とも、7907B


 
11時10分過ぎには下りホームに回送列車入線の案内放送が入電し、14分頃にはS51編成がホームへと進入して来ました。入線を狙った後は中央寄りに移動し編成写真を1枚。あとは、発車時にもう1カット撮って同編成を見送りました。
4-4.そして遠い彼方へ 〜 S9編成との最後の別れ 〜
 S51編成を見送った後は、利府線に乗って仙総所へ。06月15日に本線最終走行を迎えたE954形S9編成の一部の車両がいよいよ廃車・解体場に入ってしまったとのことで、何としても最後の別れを告げたかったのです。天候は生憎の雨模様。ひょっとしたら、この時の雨はS9編成の流した涙のようなものだったのかもしれません。
 新利府で利府行の普通列車を下車すると、1時間40分掛けて仙総所の周囲を反時計回りに一周しました。まず最初に見えたのは敷地最東端の留置線に居たE954-1とE954-6です。この2両とE954-8を除いた他の5両が既に08月20日頃に解体線に入場済みだったことを考えれば、間近に撮れる場所に居てくれたことはとても有り難いことと言えるはず。
 しかし、私が彼らの姿を見た3日後の09月07日には2両とも廃車・解体場へと移動されてしまい、この時点で保存の望みは絶たれてしまいます。この場所に出ていたのを見た時は、ひょっとしたらE954-1だけでも保存してくれるのかなと思ったのですが、残念ながらそうは行かず…(汗)。
 E954-1とE954-6を一通り撮り終えると、次は敷地の東側を走る農道を北上し廃車・解体場が見える陸橋へ。歩道から望遠で解体場の中に佇むE954形にそっと最後の別れを告げていました。
 本格的な解体作業は2009年09月07日から開始され、2009年09月17日までに全ての作業が終了。結局1両も保存されることはなく、既に全車両が解体され姿を消してしまいました。先頭車両のうちどちらかは保存されるものだとばかり思っていましたので何とも無念でなりませんが、それも色々と事情あってのことで致し方ないのでしょうね。
 廃車・解体場に佇んでいたE954形に最後の別れを告げた私は、再び徒歩で新利府へ。カメラ以外にも荷物を持っていたので広大な敷地を一周するのはかなり大変でしたが、それでも行った甲斐は十分にあったのではないかと思っています。
4-5.8186B(P編成+L51編成): 仙台14時33分発→東京16時48分着
 仙総所でE954形に最後の別れを告げると、仙台へと戻り14時33分発の8186Bに乗車しました。東北地方を出て首都圏へと向かいます。福島まではE4系『やまびこ』に乗車。そこからはE3系『つばさ』に乗り換えてみました。
*** 車内放送 ***
 ・ 8186B 仙台発車

福島で後ろに連結したのはE3系1000番台。400系が来てくれたら尚良かったんですが、そう上手く事は運んでくれません。けれども、ずっと同じ車両では飽きてしまいますので、乗り換えて正解でした。東京に着くと降りた反対のホームにポケモンラッピング編成が停まっていたため、そちらも序でに記録し東海道新幹線のホームへ。
4-6.51A(W1編成): 東京17時30分発→名古屋19時13分着
 東京からは11月09日をもって500系からN700系に編成変更となる51Aに乗車。28Aの入線を撮影後折り返しそのW1編成に乗り込んで一路名古屋を目指します。車内では暫し記録写真を撮り、その後の時間はW1編成の乗り心地を堪能していました。
*** 車内放送 ***
 ・ 51A 東京発車
 ・ 51A 品川発車
 ・ 51A 名古屋到着
   
こうして51Aで名古屋へと戻ると、2009年09月の第1回目となる東北遠征の全行程もこれにて終了。後は密度の濃かった2日間を振り返りつつ帰宅の路に就きました。






 
初となるE5系S11編成の走行風景の撮影を無事果たした03日〜04日。深夜時間帯だったため条件としては決して容易なものではありませんでしたが、それでも初めて本線を走行している姿をこの目で見ることが出来て大変嬉しく思っています。そして、03日〜04日の遠征から2週間後の09月17日〜18日には2009年09月第2回目となる東北地方への遠征を再び挙行。第2回目は第1回目の時とは旅程を大幅に変え、S11編成撮影後に余命幾許も無い400系を追い掛けて奥羽本線沿線にも繰り出しました。さらに、往路の移動手段も何時もとは違ったものに変更しています。果たして17日〜18日はどこまで思い描いたような撮影が出来たのでしょうか。それは次の第2章『奮闘編』にてお伝えしようと思います。
*** 第1章 進撃編 終 ***



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