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T.The Last Moment 〜別れの時〜 |
遅咲きだった桜の花も散って、若草萌ゆる季節を迎えた04月23日。上旬から行われていたJ55編成の解体作業が大詰めとなり、03番線で眠っていたJ57編成にもとうとう廃車解体場へ移動させるための準備作業が行われる日が来てしまいました。作業は検修庫内で行われ、そこで配線が切断されてしまいます。そのため、この03番線から1番線への構内移動こそが、泣いても笑っても、灯の点るJ57編成を見られる本当に最後の機会に他ならなかったのです。ただ、本線を走る車両を狙う以上に、工場内のみで完結する構内移動を捕えることは困難を極めます。それ故、当初は私もその場に立ち会うことは難しいだろうと考えていました。ですが、今回は本当に偶々そのご縁を頂くことが出来、嬉しくも出撃が叶ったのです。 当日は13時前に現地入り。03番線のJ57編成に最後の灯が点る様子を雄踏街道沿いから見届けて、西伊場第一踏切へと向かいます。踏切にて臨戦態勢を整えると、少ししてTEC門が開門。間もなく構内移動が始まります。そして、加圧開始から30分程経った13時半。場内に警笛の音が響き渡り、小雨模様の中J57編成がいよいよ動き始めました。最終決戦の始まりです。まず踏切が閉まるまでは、ゆっくりとシャッターポイントに近づいて来る同編成をじっと待って、正面から出庫風景を狙いました。 |
入庫時は、出庫時の反省を活かして換算60mm程度で迎撃。結果、こちらは無事満足のいく一枚に仕上がりました。1番線への入線時は、このように海側の警報機と絡めて撮れるのが嬉しいですね。16号車が踏切に進入するところを狙った後は、中間車両のありがとうロゴを集中的に狙っていたかな。出庫時のカットで11号車のロゴを載せたので、こちらにはグリーン車である10号車に貼られたロゴを載せておくことにしましょうか。 |
今回も通常の入場時と同様、踏切通過中に二度停車する機会がありました。ありがとうロゴと「試運転」幕のカットはその間に撮影したものです。さらに二度目の停車を終えて動き始めたところで、警報機とロゴを絡めて一枚。そうこうしていると、すぐに1号車が踏切を通過する時刻になってしまいます。締めの一枚は真横から狙ってみました。 |
踏切を入れた最後のカットは、自分の中では納得の一枚に仕上がったかな。偶然にも、一組のご家族と所員さんとが共にJ57編成の最期の姿を見送る様子を写せたので、嬉しく思っています。1号車が踏切を通過し終えると、遂に遮断機が上昇。これを以って西伊場第一踏切を300系が通過する風景も本当に見納めとなったのでした。 遮断機上昇後、すぐに1番線への進路を執るJ57編成を後追いで捕獲。幸いにもまだ踏切からそう離れてはいなかったので、間近で迫力のある後ろ姿を狙うことに成功です。さらには、J55編成廃車入場時に撮影したアクトタワーを絡めたカットも今一度記録。最後はレンズを付け替えて、場内を進行する同編成を望遠で狙います。本当の最期だけあって、この時ばかりはその姿が見えなくなるまでずっと見送り続けました。 |
300系J編成の本線における勇姿が見納めになってはや一ヶ月。その節目ともいえるような日に15分間だけ見られた奇跡の光景は、これにて静かに幕を下ろしました。J57編成の姿が見えなったところでTEC門も閉じられ、最後の構内移動を見守っていた所員の方々がそれぞれの持ち場へと戻られます。程無くして1番線の加圧が止まり、J57編成は静かに永遠の眠りに就いたのでした。同時に、私の中で「これで東海道新幹線から本当に300系が消えたんだ」という想いが駆け巡ります。何時かは訪れると分かっていた瞬間ではあったものの、その場に立ち会ったことによって想いが何倍にも増幅されたのでしょう。無事に本当の最期を見届けられた安堵感と、もう二度とその勇姿を見られない寂しさで、胸いっぱいのひとときでした。 検修庫1番線の加圧が止まったところで、私の23日の浜松工場での活動も併せて終了。全ての撮影を終えた私は、「ありがとう、300系。ありがとう、J57。…それから、お疲れ様。」…そんな想いを胸に眠りに就くJ57編成へ永遠の別れを告げ、浜松工場を後にしたのでした。 |
U.Into the Legend 〜そして伝説へ〜 | |
全ての役目を終え、検修庫1番線にて眠りに就いたJ57編成。同編成の廃車分割は翌24日に掛けて行われ、その日のうちに全号車が廃車線へ運び込まれました。尚、Mr.ASIA氏が執筆なさっている 『 TEC--Day by Day 』 によれば、重機による解体作業は04月27日から始まったようですね。その後8→7→6→5→12→11→10→9→16→15→14→13→4→3→2→1号車の順で作業が進められ、約三週間後の05月22日の1号車を以って全ての号車の解体作業が完了したそう。こうしてJ編成は営業運転終了後二ヶ月で完全に姿を消し、その勇姿も見納めとなりました。 一方、山陽新幹線においても広運所に疎開留置されていたK53編成が03月19日に博総車へと旅立ったことを始まりに、廃車解体の動きが本格化します。03月下旬からK55編成の解体作業が始まり、追ってK54編成も04月15日には博総車へ入場。04月末までにK編成は全ての編成が登録抹消となり、本線を駆け抜ける100系の姿も過去帳入りしてしまいました。 |
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そんな中、広運所に疎開留置されていた300系に意外な動きが見られたのです。それこそが営業時間帯の広運所〜博総車間を走る臨回の設定でした。この臨回は疎開留置中の3編成が博総車で交番検査を受けるために実施されたものです。引退後に本線を走る元気な姿がまさかこのような形で見られるとは思ってもいませんでしたし、それが1編成だけではなく順次3編成ともなれば驚きを隠せずにはいられません。但し、その機会もそれ程多くはなく、F8編成及びF9編成は05月29日と06月上旬にそれぞれ既に博総車へ廃車入場してしまっています。唯一残るF7編成の動向が気になるところではありますが、こちらもそう余命は長くないでしょう。今後はF7編成の廃車回送がいつ行われるのか気になる日が続きそうです。 |
*** 英雄達の鎮魂歌 完 *** |
2012.06.23 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS |
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