*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.Hard Fighting 02.Interception 03.Endeavor to Fight 04.Final Parting 05.Epilogue



*** Eternal Glory ***
 2012年03月25日、300系J57編成登録抹消。03月23日に浜松工場へ廃車入場した同編成がこの日遂にCOMTRAC上からも姿を消し、J0編成の登場から22年間続いた300系J編成の歴史は終わりを迎えました。2007年03月28日に先行試作車であるJ1編成が姿を消してからはや五年。時が経つのはあっという間ですね。N700系の増備により車両の世代交代が進み、この五年の間に東海道・山陽新幹線の様相も随分と変わったなと感じています。
 100系の東海道新幹線引退時は、カメラ片手に新幹線を追い掛けるようになってまだ月日が浅く、知識不足故に廃車回送を満足に見届けることは出来ませんでした。それ故、今回の300系の引退において最終編成の最後の勇姿をこの目で見届けられた喜びはとても大きく、あの時の感動は今でも昨日のことのように覚えている次第です。
 さてそんな私のもとへ、03月も下旬に差し掛かる頃、一通の嬉しい知らせが飛び込んで来ました。03月25日に編成名を削除されたJ57編成が、何とJ55編成の解体が終わるまで暫く03番線に留置されるというのです。それは、J55編成の解体作業が完了する04月下旬頃に、再びJ57編成の自走風景が見られることを意味していました。このEpilogueにおいては、そんなJ57編成の最後の自走風景に立ち会った際の模様も前半に織り交ぜながら、一連の撮影&乗車記を締め括っています。見応え抜群のEpilogueも、是非最後までご覧下さいね。

T.The Last Moment 〜別れの時〜
 遅咲きだった桜の花も散って、若草萌ゆる季節を迎えた04月23日。上旬から行われていたJ55編成の解体作業が大詰めとなり、03番線で眠っていたJ57編成にもとうとう廃車解体場へ移動させるための準備作業が行われる日が来てしまいました。作業は検修庫内で行われ、そこで配線が切断されてしまいます。そのため、この03番線から1番線への構内移動こそが、泣いても笑っても、灯の点るJ57編成を見られる本当に最後の機会に他ならなかったのです。ただ、本線を走る車両を狙う以上に、工場内のみで完結する構内移動を捕えることは困難を極めます。それ故、当初は私もその場に立ち会うことは難しいだろうと考えていました。ですが、今回は本当に偶々そのご縁を頂くことが出来、嬉しくも出撃が叶ったのです。
 当日は13時前に現地入り。03番線のJ57編成に最後の灯が点る様子を雄踏街道沿いから見届けて、西伊場第一踏切へと向かいます。踏切にて臨戦態勢を整えると、少ししてTEC門が開門。間もなく構内移動が始まります。そして、加圧開始から30分程経った13時半。場内に警笛の音が響き渡り、小雨模様の中J57編成がいよいよ動き始めました。最終決戦の始まりです。まず踏切が閉まるまでは、ゆっくりとシャッターポイントに近づいて来る同編成をじっと待って、正面から出庫風景を狙いました。
 緊張感半端なかったのですが、何とか初戦は成功。小雨模様だったことが功を奏して、車体海側と山側の光量差もそれほど目立たず嬉しく思っています。また、ありがとう装飾が施された編成の構内移動自体、恐らく片手で数える程度しか行われていなかったでしょうし、そういった意味でも貴重な一枚となりました。
 正面から迫り来るJ57編成を無事捕えたら、ここでレンズ交換タイムです。付け替え途中に所員の方から踏切降下の合図が入った時にはかなり焦りましたが、それでも勝負の瞬間までには何とか態勢を整えることに成功。緊張の面持ちで再び決戦に挑みました。ただ、第二戦の結果はまずまずといったところかな(汗)。曇り空の白色に車体の色が負けてしまっている気がします。これならもう少し標準気味で撮っておけば良かったとちょっぴり後悔…。とは言え、過ぎたことは思い悩んでも仕方ありません。ここはすぐさま気持ちを入れ替えて、踏切を本線側へと通過して行く同編成の勇姿をとにかく狙い続けました。
 そんな中ふと車体を見ると、方向幕が「試運転」になっているではありませんか(驚)。03月23日の廃車入場の際には「回送」幕だったはずなので、これには驚きです。03番線に留置されている間に乗務員訓練等も行われていたようなので、その時にでも変えたのでしょうか。
いずれにしても「試運転」幕とありがとうロゴの組み合わせは、とても新鮮でしたね。そんなことを想っていると、先頭車両が制限解除の地点を通過。それまで超低速だったJ57編成の速度が少し速まり、その勢いで残りの号車が一気に踏切を駆け抜けます。後追いとなる16号車は横から道路を入れて撮影。こちらも満足のいく出来に仕上がり、嬉しく思っています。16号車が踏切を通過し終えると、ここで遮断機が一旦上昇し前半戦は終わりを告げました。私も撮った写真を確認しながらその余韻に浸りつつ、束の間の一休憩。
 かと思いきや、ここでまさかの事態に…(汗)。何と、間髪入れずに踏切が再始動したのです。折り返しまではもう少し余裕時分があるだろうと思ってのんびり構えていたので、これには意表を突かれましたね。1番線へ入場する際には海側の線路を通過するので、必要なレンズを持って足早に山側へと移動。大慌てでカメラの設定を調整し、すぐそこに迫るJ57編成に最後の戦いを挑みました。
 入庫時は、出庫時の反省を活かして換算60mm程度で迎撃。結果、こちらは無事満足のいく一枚に仕上がりました。1番線への入線時は、このように海側の警報機と絡めて撮れるのが嬉しいですね。16号車が踏切に進入するところを狙った後は、中間車両のありがとうロゴを集中的に狙っていたかな。出庫時のカットで11号車のロゴを載せたので、こちらにはグリーン車である10号車に貼られたロゴを載せておくことにしましょうか。
 今回も通常の入場時と同様、踏切通過中に二度停車する機会がありました。ありがとうロゴと「試運転」幕のカットはその間に撮影したものです。さらに二度目の停車を終えて動き始めたところで、警報機とロゴを絡めて一枚。そうこうしていると、すぐに1号車が踏切を通過する時刻になってしまいます。締めの一枚は真横から狙ってみました。
 踏切を入れた最後のカットは、自分の中では納得の一枚に仕上がったかな。偶然にも、一組のご家族と所員さんとが共にJ57編成の最期の姿を見送る様子を写せたので、嬉しく思っています。1号車が踏切を通過し終えると、遂に遮断機が上昇。これを以って西伊場第一踏切を300系が通過する風景も本当に見納めとなったのでした。
 遮断機上昇後、すぐに1番線への進路を執るJ57編成を後追いで捕獲。幸いにもまだ踏切からそう離れてはいなかったので、間近で迫力のある後ろ姿を狙うことに成功です。さらには、J55編成廃車入場時に撮影したアクトタワーを絡めたカットも今一度記録。最後はレンズを付け替えて、場内を進行する同編成を望遠で狙います。本当の最期だけあって、この時ばかりはその姿が見えなくなるまでずっと見送り続けました。
 300系J編成の本線における勇姿が見納めになってはや一ヶ月。その節目ともいえるような日に15分間だけ見られた奇跡の光景は、これにて静かに幕を下ろしました。J57編成の姿が見えなったところでTEC門も閉じられ、最後の構内移動を見守っていた所員の方々がそれぞれの持ち場へと戻られます。程無くして1番線の加圧が止まり、J57編成は静かに永遠の眠りに就いたのでした。同時に、私の中で「これで東海道新幹線から本当に300系が消えたんだ」という想いが駆け巡ります。何時かは訪れると分かっていた瞬間ではあったものの、その場に立ち会ったことによって想いが何倍にも増幅されたのでしょう。無事に本当の最期を見届けられた安堵感と、もう二度とその勇姿を見られない寂しさで、胸いっぱいのひとときでした。
 検修庫1番線の加圧が止まったところで、私の23日の浜松工場での活動も併せて終了。全ての撮影を終えた私は、「ありがとう、300系。ありがとう、J57。…それから、お疲れ様。」…そんな想いを胸に眠りに就くJ57編成へ永遠の別れを告げ、浜松工場を後にしたのでした。
U.Into the Legend 〜そして伝説へ〜
 そんな中、広運所に疎開留置されていた300系に意外な動きが見られたのです。それこそが営業時間帯の広運所〜博総車間を走る臨回の設定でした。この臨回は疎開留置中の3編成が博総車で交番検査を受けるために実施されたものです。引退後に本線を走る元気な姿がまさかこのような形で見られるとは思ってもいませんでしたし、それが1編成だけではなく順次3編成ともなれば驚きを隠せずにはいられません。但し、その機会もそれ程多くはなく、F8編成及びF9編成は05月29日と06月上旬にそれぞれ既に博総車へ廃車入場してしまっています。唯一残るF7編成の動向が気になるところではありますが、こちらもそう余命は長くないでしょう。今後はF7編成の廃車回送がいつ行われるのか気になる日が続きそうです。
V.Eternal Glory 〜功績は永遠に〜
 0系が東海道新幹線から引退し、700系が営業運転を開始した1999年。当時は「東海道・山陽新幹線の顔」と言えば100系と300系であり、沿線に赴けば当たり前のように両系式を目にすることが出来ました。また、私が新幹線を本格的に追い掛け始めた時期も丁度その頃からだったように思います。今思えば彼らの勇姿を駅や沿線で何度も見ていたことが、この世界に引き込まれるきっかけとなったのかもしれません。
 しかし、N700系の登場によって100系と300系はあっという間に世代交代を余儀なくされ、いよいよ「引退」の二文字を意識しなければいけない時期になってしまいます。そこで頭に浮かんできたのが、16両編成の100系が東海道新幹線から引退した2003年のことでした。当時は撮影機材や腕もまだまだ未熟だった故、今思えば後悔する点も沢山あります。その経験を活かして、今回の二系式同時引退に際しては「100系」・「300系」という系式の括りだけでなく、編成単位にまで目を向けてその勇姿を追っていました。
その甲斐あって、今回は100系・300系共に全ての編成を何とか網羅することに成功。満足いく一枚を撮れないまま廃車になってしまった編成も決して少なくはないのですが、それでも2003年の100系の東海道新幹線引退の時よりは遥かに沢山の願いを叶えることが出来たと思っています。
 N700系に詰め込まれた最新技術の数々には、惜しくも叶わなかった100系と300系。しかし、今を走る新幹線車両達には彼らによって確立された技術が必ず生きています。もう本線を駆け抜ける姿を直接見ることは叶いませんが、その偉大な功績はこれからも永久に語り継がれていくことでしょう。想い出という名の過去から夢という名の未来へ、私達の希望を届けるために…。 100系、300系、これまで本当にありがとう!!長い間お疲れ様でした。
*** Epilogue 終 ***
*** 英雄達の鎮魂歌 完 ***
2012.06.23 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS



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