*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.Hard Fighting 02.Interception 03.Endeavor to Fight 04.Final Parting 05.Epilogue



*** 第4楽章 別離 ***
 2012年03月17日、ダイヤ改正当日。J55編成とJ57編成は、それぞれ東二両と大一両で静かにその日を迎えました。使命を終え、20年間の活躍に幕を下ろした300系。しかし、03月16日の最終走行はあくまでも「営業運用」としてであり、本当の意味での最終走行はまた別にあったのです。それこそが03月21日に東二両のJ55編成、03月23日に大一両のJ57編成の順で実施された浜松工場への廃車回送でした。Xデーに関しては各所で色々な議論がなされていましたが、結局は両編成共に年度内の旅立ちとなってしまいましたね。2007年03月のJ1編成を始まりとして、これまで59回程実施されてきた300系の廃車回送。その全てを見届けることは叶いませんでしたが、これで見納め…それも特別装飾編成の廃車回送とあらば出撃しない訳にはいきません。第4楽章『別離』では、そんな切なる願いを叶えた貴重な二日間の様子を纏めてみました。J55・J57両編成が本当の最終走行で見せてくれた最後の勇姿を篤とご覧あれ。

******************* 電車運用 *******************
 03/21
 浜松上2
 J55  6770A - 7901A
 03/23
 浜松上2
 J57  8671A - 8630A
******************* 電車運用 終 *****************

3/21-1.The Last Crusade VS. J55
 03月21日は未明に自宅を出発し、決戦の地浜松へ。工場近くの撮影地に07時頃に着くと、早速最後の本線走行を迎え撃つべく臨戦態勢を整えます。西伊場第一踏切には既に知り合いを含めて同業者の方が何名か待機しており、この日の入場列車が特別な車両であることを物語っていました。引退後の廃車回送ともなると、やはり人の出が違いますね。私が居た場所でもその時が近づくにつれて同業者の方が右肩上がりに増え、最終的にはかなりの大人数で最後の勇姿を見届けることになりました。07時54分頃、遠くに7901Aと思しき列車の姿を確認。緊張のひと時です。朝陽を背に徐々に速度を落としながら近づいて来るJ55編成。そして…。
 気合いを入れて決戦に臨んだ結果、どうにか何事もなく迎え撃つことに成功。失敗続きの装飾編成との決戦に、最後の最後で漸く光が射してきたという感じです。失敗しなくて本当に良かった。それにしても、あの時の緊張感ときたらそれはもう…(汗)。低速だったのにも関わらず、300km/hで走る本命列車を間近且つ超広角で仕留める時のような感じでした。
3/16-2.The Final Destination
 浜松上2手前で本線を走る最後の勇姿を捕えた後はすぐさま西伊場第一踏切へと移動。次は工場入場を狙います。西伊場第一踏切にはこの時既に多くの方が集結していたのですが、そこで一点張りしておられた仲間の方のお陰様で、幸いにも理想の立ち位置に入らせて頂くことが出来ました。これにはただひたすら感謝あるのみですね。位置に着いたら、早速構図の調整とピント合わせを実施。02月09日に行われたJ56編成の廃車入場では、直前の焦りからピントが若干甘くなってしまい大きく後悔したので、再び同じ失敗を起こさぬよう細心の注意を払って準備を進めました。程無くして所員の方の操作で踏切が作動し、遮断機が降下。緊張が最高潮に達する中、遂にその瞬間が訪れました。
 朝から雲一つない冬晴れの天気に恵まれたこの日、文句無しの天候で最終決戦を無事に制することが出来た悦びは何にも代え難いですね。最後の最後で運が天に味方してくれ、とても嬉しく思っています。西伊場第一踏切では列車との距離が近い故に、広角での撮影時は油断すると意外と失敗することもありますし。装飾編成走行初日に出鼻を挫かれて以降、失敗続きで悔しい想いばかりしてきましたが、その悔しさもこの一枚で漸く拭い去ることが出来ました。
7901A 浜松工場入場 →   
 念願の一枚を無事手中に収めた後は、すぐに場所を移動して入場中の様子をとにかく記録します。グリーン車や集電部周りのカットだけでなく、ありがとう装飾と踏切の銘板を絡めたカットも撮影。入場の際には毎回決まって踏切通過中に二度停車するのですが、J55編成の元気な姿を見られる最後の機会故に、とにかく無我夢中でその姿を記録し続けていたように思いますね。
 二度目の停車を終えると、そこからはJ55編成も歩くような速度で場内を進行。しかし、私はその間も休むことなくその様子を記録し続けていたように思います。そうこうしていると、すぐに1号車が踏切を通過する時刻になってしまいました。締めの一枚は真横から踏切全体を入れて同編成を狙い撃ち、最後の晴れ姿をお見送りです。
 この角度ならば踏切であることも目立ちますし、ありがとう装飾やそれを見送る大勢の撮影者もしっかりと写っているので、特別な編成の入場風景ということも一目でお分かり頂けるかな。快晴の青空の下だったことも相俟って、この一枚は私にとって忘れることの出来ない一枚となりました。
 1号車が踏切を通過し終えると、警報音が止んで遮断機が上昇。それと同時にすぐさまJ55編成が通った軌道の延長上へと向かい、アクトタワーと絡めて後ろ姿を狙います。さらに、レンズを付け替えて望遠で徐々に離れて行く姿も追いました。


 ↑ 8枚とも、7901A


 
 こうしてJ55編成は08時半頃に03番線へと無事到着し、電源を落として解体前最後の眠りに就いたのです。その様子を見届けたところで、最期のお見送りも無事に終了。やはり最期を無事見届けられた安堵感は大きかったですね。その後は居合わせた仲間の方々と共に在りし日のJ55編成の勇姿に想いを馳せながら、西伊場第一踏切で暫しの間一休憩。その上で最後にもう一度眠りに就く同編成に会いに行き、「ありがとう。そして、14年間お疲れ様。」という想いを胸に、別れを告げて浜松工場を後にしました。
 尚、03番線から1番線への自走による最後の構内移動は、廃車入場から一夜明けた翌22日に実施されたみたいですね。また、23日の早朝には編成を解かれた各号車が、牽引機に牽かれて廃車線へと移動。重機による解体作業は年度が改まった2012年04月上旬から順次行われ、同月下旬までに16両全てが姿を消す運命を辿りました。
3/23-1.涙雨のLast Run
 J55編成の廃車入場から二日経った2012年03月23日。今度は16日に東海道新幹線で引退の花道を飾ったJ57編成が、大一両から浜松工場へ旅立ちました。300系J編成全61編成中、61編成目の廃車回送。いよいよ本線を疾走する姿も見納めです。東海地方では廃車回送前夜から300系の最終走行を惜しむかのように天候が崩れ、当日は涙雨降る中の旅立ちとなりました。
 最終走行をどこで撮るか。10日に米原で装飾編成の迎撃に失敗して以降、そのことをずっと考えていたのですが、最後はやっぱり地元の沿線で見送ろうと決心。23日は朝早めに通い慣れた場所に出向き、見送りの準備を進めます。07時55分過ぎに前走りの208Aが通過すると、その後追いですぐに本命のJ57編成が登場。緊張が一気に高まる中、肩の力を懸命に抜いて最後の闘いに挑みました。
   ← 8630A
 J1編成の廃車回送でやらかした大失敗を最後の最後で繰り返さずに済んだこと、また架線ビームの写り込みも回避出来たので、とても嬉しく思っています。ピントも意図したところにきちんと置けましたし、満足のいく最後となりました。早朝の回送だけあって、もし晴れていたらこの場所ではきっと影だらけの嬉しくない写真しか撮れなかったでしょうから、雨模様の天気に感謝ですね。
8630A 名古屋〜三河安城間通過 →   
 J57編成の最後の勇姿は動画でも撮影してみました。こちらは標準的な構図で狙っています。明るさ等が自動設定のため、列車の顔が僅かに白飛びしていますが、そこはどうかご容赦下さい。因みに、23日の西伊場第一踏切にも多くの撮影者が集まったようですね。さらに、J57編成の廃車入場の直後には21日に入場したJ55編成の編成分割作業もあったため、短時間の間に貴重な光景に遭遇した方も多かったのではないでしょうか??尚、23日は午前中に非鉄な用事を控えていたため、同日の鉄な活動はこの朝の一撃で終了しています。

▼.第1楽章〜第4楽章執筆を終えて
 03月21日と23日の二日に分けて、それぞれの塒から浜松工場への帰らぬ旅に出たJ55・J57両編成。その後03月23日にはJ55編成の、25日にJ57編成の編成名登録がそれぞれ抹消され、J0編成の登場から22年間続いた300系J編成の歴史は遂に終わりを迎えました。但し、浜松工場ではおよそ一日一両程度の割合で用途廃止車両の解体作業を進めています。従って、先に入場したJ55編成を解体し終えるまでには、最低でも二週間程の期間を要することは明らかでした。しかし、それが功を奏して、後から入場したJ57編成のみ年度を跨いでも尚健在であり続けることが出来たのです。J55編成の解体作業が始まるまでの間、J57編成はいつでも加圧出来るような状態で終日03番線に留置されていました。また、稀にですが、加圧されて03番線と検修庫の間を自走移動する時もあったようです。
 そんな中J55編成の解体作業が04月下旬で終わるのを前に、遂にJ57編成と本当にお別れをする日が訪れてしまいす。この鎮魂歌を締め括る次のEpilogueでは、300系新幹線の本当に最後となる自走風景を見届けるために再び浜松工場を訪れた際の様子を綴ると共に、あとがきとして03月下旬以降の一連の動きを今一度振り返ります。まだまだ見応えは十分かと思いますので、是非とも次のEpilogueも引き続いて御覧下さいね。

*** 第4楽章 別離 終 ***



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