*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.Hard Fighting 02.Interception 03.Endeavor to Fight 04.Final Parting 05.Epilogue



*** 第2楽章 迎撃 ***
 第2楽章『迎撃』と続く第3楽章『尽力』では、100系・300系さよなら運転へ立ち会うべく、2012年03月14日〜16日に山陽地方へと遠征した際の撮影紀行を主としています。扱いは山陽遠征記ですが、02月末から03月中旬までの活動記録も併せて掲載していますので、どうぞご覧下さい。

3/10-1.二度あることは三度ある
 03月10日は装飾編成を使用した団体臨時列車を狙うべく、始発列車で米原へ向かいました。ここで、…あれ?と思った方、鋭いですね。03月03日にも装飾編成を使用した団体臨時列車は走ったのにその時の話が無いのは、決して書き忘れではありません。実は03日はまさかの体調不良により、断腸の思いで出撃を取り止めたのです(泣)。ちょっと無理してでも…と言える程度ならば頑張ったのかもしれませんが、かなり酷い風邪を貰ってしまったらしく、そんな余裕はどこにも無く…(涙)。今まで「ここぞ!」という時には大抵何とかなっていたのですが、今回ばかりはどうにもならず、本当に悔しかったです。
 しかし、不運なことって二度起きるとこれまた三度目もあるんですよね(溜息)。03日に休んだ甲斐あって10日は無事出撃出来たのですが、02月17日の失敗と03日の不戦敗を取り返そうと意気込んだことが逆に仇となり、ここでも地団太を踏む羽目になりました(泣)。列車が見えるまでは緊張の度合いもそこそこだったのに、見えた途端にそれがとんでもなく増幅されてしまい、抵抗の術無く終了というね(涙)。ここで振り返ってみても、営業運用で活躍する装飾を施したJ55・J57両編成とはとにかく巡り合わせが悪かったんだなとつくづく感じます…(汗)。
3/10-2.四度目の正直
 本命の米原で失敗したことですっかり気分は落ち込んでしまったのですが、それでも返しを狙うために急いで646Aに乗車。上り9336Aを名古屋市内で迎え撃ちました。今度は遠景だったこともあって、何とか撮影に成功。四度目の正直といったところでしょうか。


 ↑ 9336A


 ↑ 650A
 天気が微妙だったことが悔やまれますが、それでもまだ顔を切ったりすることよりは増しかなと思っています。あとは、この10日の9336Aで失敗しなかったことで緊張と失敗の悪循環を断ち切ったと信じ、翌週12日のF編成定期運用最終日に備えるのでした。
3/12-1.The Last 650A 〜F編成最後の定期運用を狙う〜
 12日はいよいよF編成の東海道定期運用最終日。泣いても笑っても東海道新幹線内で営業運用に就く定期の300系が撮れるのはこの日が最後です。朝から好天に恵まれていたので、私もその勇姿を迎え撃つべく通い慣れた名古屋市内の撮影地へ。11時過ぎに現地に着いて準備をしていたのですが、平日だったことに加えてF編成には装飾が施されていなかったこともあってか、撮影者は結局私だけでした。12時を回ると遂に決戦の時です。
650A →   
 緊張はしましたが、結果は無事成功。営業列車としての最後をきちんと見送れて、嬉しく思っています。F編成が普段通りの姿だったことや通い慣れた場所での撮影だったことが幸いして、装飾編成の時ほどの緊張感は襲って来ず、ほっと胸を撫で下ろせましたね。これであとは目前の山陽遠征を残すのみです。
3/14-1.旅のついでに
 ところ変わって、100系&300系の最終運行を見届けるための山陽遠征は03月14日が初日となりました。当日は午前中に非鉄な用事が入っていたので、名古屋を出たのは昼過ぎだったかな。在来線でのんびりと西へ向かいつつ、まずは途中の新大阪で検測機器確認の試運転を行っていたT5編成を捕獲します。
8991A →   
光線状態が微妙だったので記録程度のカットではありますが、丁度互いの時間が重なったのは幸いでした。この後は再び在来線で西へ。但し、14日は近畿地方に居る知人の元を訪れることを一番の目的としていたので、幹線撮影はこれにて終了です。因みに、14日の夜は西明石付近に宿まりました。
3/15-1.西明石弥生の陣
 15日は09時頃にホテルを出て、その足で駅へと直行。目当てはV編成充当の724A、728A並びにT5編成の試運転列車8890Aです。724Aに関してはピントの精度が今一だったのですが、30分後の728Aは何とか撮れました。あとは、天気さえ良ければ文句無しだったんですけどね…(汗)。


 ↑ 728A


 ↑ 16A


 ↑ 468A
 728Aを見送ると、T5編成がやって来る12時頃まではまったりと撮影を続けていました。最初のうちは分厚い雲に覆われていた明石市上空の天候も、時間が経つに連れて徐々に回復。12時頃には陽の光も薄らと射したので、T5編成を迎え撃つ手にもより一層力が入ります。そして、待ち侘びた決戦の時。
8990A →   
 緊張しましたが、無事迎撃成功です。それにしても、8990Aが視界から消えた直後に21Aが後ろから駆け抜けて行ったのはびっくりでした。所定とは言え、被らなくて本当に良かったです。バリ晴れではなかったのですが、728Aを見送った時よりは辺りも明るくなってくれたので、待った甲斐がありました。
 T5編成の試運転を無事捕えると、続いてはその30分後に下って来る2555Aを狙います。実は、03月17日のダイヤ改正では100系と300系の現役引退の他にも山陽新幹線内では大きな動きがありました。
それこそが、『ひかりレールスター』の事実上の消滅です。消滅と言ってもまだ2442A一本だけはE編成の充当なので、完全になくなってしまった訳ではないんですけどね(汗)。ただ、2442Aは停車駅がそれまでの『ひかり』よりも多いですし、一日一本だと撮影上の制約も多くなってしまいます。そんなことを考えていると、これまで日常的に見られた風景とは言えDr.Yellow以上に気合いが入りました。


 ↑ 2555A


 ↑ 550A
 天候もギリギリ持ち堪えてくれましたし、無事合格圏内の出来栄えに仕上げることが出来たかなって思っています。ダイヤ改正以降は多客期の臨時『ひかり』の運用も全てSR編成になってしまったので、E編成もとうとう『こだま』で余生を送る時期になってしまったということなんでしょうね。寂しいですが、こればかりは時代の流れ故に仕方のないことなのでしょう。また早いうちに2442Aの撮影にも赴きたいなぁ。2555Aの撮影で以って西明石での活動を終えると、午後からは在来線と新幹線を乗り継いで三原へと向かいます。
3/15-2.黄昏時のサプライズ
 三原に着いたのは17時前。辺りもほんのりと夕焼け色に染まり始める頃合いで、良い感じの雰囲気を醸し出していました。到着後はすぐに上りホーム鹿児島中央寄りに陣を構え、東上する列車達を迎え撃ちます。


 ↑ 50A


 ↑ 570A


 ↑ 52A
 時間的には570Aが通過して行った時が一番綺麗だったのかな。やはりN700系のシルエットは格好いいですね。夕焼けの中を疾走する姿はいつ見ても惹かれるものがあると私は思っています。それにしても、こうして見ると岡山以西ではN700系率が高いなぁと改めて感じますね。もう700系の『のぞみ』でさえも限定的にしか見られなくなってしまっているのかと思うと、時が経つのが早く感じられて仕方ありません。
 さて、570Aが通過して行くと夕ギラの時間帯も大詰めです。でも、私にとっての活動の本番はこの後でした。17時半を過ぎた頃、15日は運転日でなかった6182Aの通過時刻とほぼ同じ時刻に8892Aという一本の臨時回送列車が登場。いよいよ本命の列車と一戦を交わす時です。緊張しながらも気合いを入れ過ぎて空回りしないよう、細心の注意を払います。架線柱の写り込みに気を付けて、迫り来る標的といざ勝負!!
   ← 8892A
 そう、実はこの8892A、何と翌日の最終運転に備えて設定されていたF9編成の臨回だったんです。貴重な一本だけあってかなり緊張しましたが、装飾編成でやらかした時のような大きな失敗をしでかすこともなく、無事迎え撃てました。本当はあと10分8892Aの通過が早ければF9編成の車体の海側にもきちんと光が当たってくれたのですが、まぁそこは妥協することにしましょう。前日から何か動きがあるかもしれないと睨んで出撃した甲斐がありました。尚、このF9編成は翌日に控えていた最終運転列車の充当予備編成として岡山まで回送され、岡運へと入庫しています。F9編成の臨回を無事捕えると、その後続で上る52Aを狙って15日の活動を終え、宿泊先へと向かったのでした。



 
03月10日、12日並びに14日、15日の活動を綴った第2楽章『迎撃』はここまでです。03日と10日には苦い思いもしましたが、12日以降は徒労神様もどこかに行ってくれたお陰で、山陽遠征は好調な出だしとなりました。そして次楽章『尽力』が、いよいよ100系・300系さよなら運転当日の03月16日の活動の様子を綴った撮影紀行です。密度濃い次楽章も、是非続いてご覧下さいね。

*** 第2楽章 迎撃 終 ***



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