*** CONTENTS ***
01.Meet Again 02.Fierce Battle 03.Try My Best 04.Miracles of God 05.After Miracles 06.Interception
07.Decisive Stage 08.After the Swallow



 最後は2011年02月26日〜27日に掛けての撮影紀行である第8章『追撃編』です。U9編成が日中の山陽新幹線を初めて走行した01月28日以降、02月06日までは引き続き同編成が新山口若しくは小倉まで赴いて各種試験を行っていました。しかし、検査周期の関係か何かでU9編成は02月06日を以ってその役回りから退役。そのため、以降02月08日からは代わりにU8編成が試験車両の役目を引き継ぎました。ただ、U8編成はU9編成のように何週間も試験車両の役目を担うことはなく、02月18日を以って早々とその役目を終えてしまいます。そして、最後にそれまでの走行試験に使われなかった編成の新下関までの入線確認試験が行われたのです。
 そこで、第四回目の遠征からおよそ一ヶ月が経過した02月下旬にも旅支度を整えて、再び山口県は新下関へと遠征。一次車であるU5編成の入線確認試験を見届けて来ました。尚、本章を以って800系の山陽新幹線内での走行試験を追い掛けた一連の撮影紀行も遂に完結します。本章も一連の遠征旅行記を締め括るのには相応しい内容になっていると思いますので、どうぞ最後までご覧下さいね。

******************* 電車運用 *******************
 01/28
 熊本総車  U05  5890A - 5891A
******************* 電車運用 終 *****************

26-1.夜を徹して西へ
 02月26日は車と人員が揃ったので、中部地方から車で山口県へと向かいました。25日から26日へと日付が変わる頃に名古屋ICから東名阪道に流入し、新名神経由で夜を徹して移動。この日は山陽道で大きな事故があったので予定したいた時間よりも遅くなるかもと心配したのですが、通過する頃には何とか通行止も解除されており一安心といった感じでした。
26-2.冬晴れの徳山にて
 夜が明けて、周南市内へ到着したのは07時過ぎ。26日のU5編成は夕方に新下関へやって来るとのことだったので、それまでは他の駅や沿線で営業列車を迎え撃つことにしました。そこで、まず始めは徳山へ。P編成充当の732AやF編成充当の734Aを標的に臨戦態勢を整えます。


 ↑ 732A
 26日の周南市上空は雲一つない快晴の空模様。清々しい朝で気持ち良かったですね。08時前に上りホームに732A到着の案内放送が入電すると、暫くして上1番線にP9編成が滑り込んで来ました。編成が短いので構図を縦にして迎え撃ちます。徳山のキロポストも写って良い感じの一枚に仕上がったかな。


 ↑ 734A


 ↑ 10A
 さらに、その後続でやって来た734Aも捕獲。こちらはF4編成でした。300系もいつ見られなくなるか分からないので、見られるうちに悔いのないように少しでも多く記録しておきたいものです。特に私の場合は山陽新幹線内でのカットが少ないので尚更ですね。また、F4編成はここでN2編成充当の10Aを待避。こちらは望遠で上本線を疾走するところを迎え撃ちました。そして、目的の二本を仕留めた後は駅を出て次の撮影地へと向かいます。
26-2.防府の戦い
 徳山を出て向かった先は防府市内の撮影地。ここは前々から訪れてみたいと思っていた場所でした。10時頃に現地に着くと早速撮影の準備を整えて、やって来る上り列車を狙います。丁度740AでP編成がやって来る頃合いだったので、全精力を集中させてその戦いに挑みました。


 ↑ 740A


 ↑ 552A
 奮戦の結果、P6編成を無事捕獲することに成功。P編成に関してはこの遠征で撮り納めになるだろうと考えていたので、会心の出来栄えに仕上がって嬉しく思っています。また、P6編成の露払いでやって来たE12編成も満足のいく形に仕留められたので、幸先の良さを予感させてくれる出だしとなりました。しかし、その後でやって来た22Aと24Aは架線ビームの写り込みがあったりピンが甘かったりして、惜しくも失敗に終わってしまいます。いやはや、貴重な一本故にこれはまずい(汗)。…ということで、次は何としても成果を残そうと心に誓い、気合いを入れて556Aを迎え撃ちました。


 ↑ 556A


 ↑ 742A
 気合いを入れて迎え撃った結果、無事狙い撃つことに成功。結構な望遠のためピントには気を遣いましたが、無事思い描いた位置で迎え撃てて嬉しく思っています。これで一安心と言った感じですかね。さらに、その後続でやって来た742Aも何とか迎撃に成功。ただ、こちらはパンタグラフが少しフレームアウトしてしまったのが惜しいところです(汗)。でもまぁ、これはこれで迫力ある一枚になっているので、合格圏内ということにしておきましょう。742Aを狙うと次の列車までかなりの時間があったので、この場所からは撤収。その後は新山口に少しだけ立ち寄って、決戦の地へと向かいました。
26-3.新下関の決戦
 決戦の地である新下関に着いたのは15時過ぎです。到着後はU5編成迎撃の準備を整えるべく、早速上りホームに陣を構えました。午後の上り列車のため、新関門TNから顔を出したところを望遠で迎え撃とうという計画です。ただ、前走の754Aで確認したところ、上1番線への入線列車には架線柱などの影が結構掛かってしまうことが判明。また、その写り込みを最小限に押さえられる箇所もそんなに多くはありませんでした。
754A →   
 となると、シャッターチャンスは案外限られてしまいます。これで連写した全てのカットに多量の影が写っていたら、泣くに泣けないですしね(汗)。754Aの発車後は先の結果を踏まえて再度ピントの位置を調整し、万全の態勢で本番に備えました。
16時05分頃に上りホームへ回送列車入線の案内放送が入電すると、いよいよ決戦の時です。今回は第四回目までの遠征で追い掛けたU9編成ではなく、一次車のU5編成がやって来るとのこと。そのため、迎え撃つ手にも力が入ります。
 奮戦の結果、何とか無事影の写り込みが最小限になる位置で仕留めることに成功。低速とは言えど、なかなかな緊張感でしたよ。『新関門』の字もしっかり写っているので嬉しく思っています。もし仮に現行の5402A - 5411A若しくは5402A - 5413AにU編成が充当されたとしても、車体の海側にしか光は当たりませんしね。入線後は僅かな停車時間の間にホーム16号車端まで移動して、そこから停車中のU5編成を再度撮影。さらに、発車後は引上線へと向かう同編成の姿を望遠で狙いました。


 ↑ 3枚とも、5890A


 
 どちらも山陽新幹線内にU5編成が入線した貴重な記録になったかな。特に、後者の一枚はバリ順で車体の白色も綺麗に出ているのでお気に入りの一枚でもあります。引上線へU5編成が入線すると、折り返し5891Aの発車時刻までは50分近く時間があったので、通過列車やその間に駅を発着する列車達とU5編成を絡めたカットを何枚か狙ってみました。ただ、架線柱を上手く処理するのは位置的にも限界があったため、少しばかり車体に掛かっていてもそこは妥協するしかなく(汗)。でもまぁ、P編成との共演を始めどれを取っても大切な記録であることは間違いないですから、自分としては精一杯奮闘した方だと思っています。


 ↑ 820A & 5891A


 ↑ 747A


 ↑ 758A & 5891A
 また、5891Aの発車時刻を前に747AでK57編成もやって来ました。この構図ではピン甘撃沈という哀しい結末を今まで何度か経験しているので、今度こそは成功するよう願を掛けて臨んだところ、何とか無事撮影に成功。いやいや、これで一安心です。
 17時を過ぎて引き上げ線から下1番線への進路が開通すると、いよいよU5編成の発車時刻となりました。下りホームへ回送列車到着の案内放送が入電するのとほぼ同時に引上線に居たU5編成がゆっくりと動き出します。あとは架線ビームの写り込みに気を付けて、いざ勝負!!
 結果はこんな感じです。夕暮れ時で太陽高度が低かったにも関わらず、建物の影も無事クリア。また、架線ビームの写り込みもありませんでした。低速とは言えV3編成やS1編成の走行試験時はピントで苦い思いをしているので、今回漸く満足のいく成果を得られて嬉しく思っています。遠路遥々出向いた甲斐がありましたよ。尚、下1番線に入線後は6号車付近で発車までロゴなどを撮っていました。


 ↑ 4枚とも、5891A


 


 
 金色ベースの大きなロゴはセンスがあって格好良いですね。また九州新幹線内でも800系を追い掛けたいものです。最後は発車して行くU5編成を後追いで追撃し、新下関での決戦も無事終了。あとは駅を出て中国道〜山陽道経由で宿泊先の東広島へと向かいました。
27-1.帰路に就く前に
 27日は08時頃に起床し、ホテルをチェックアウト。その足で東広島市内の撮影地に向かいます。ここでは、二時間程上り列車を狙っていました。


 ↑ 734A


 ↑ 550A


 ↑ 738A
 27日の広島県内の天気は撮影にはあまり嬉しくない天候で、738Aまで粘ったものの、満足いく成果を残せたカットはかなり少ないように思います。734Aを狙った時はまだ良かったのですが、その後はどんどん雲が増殖し辺りは一面の曇り空に…(汗)。またリベンジに赴かなくてはいけません。
 こうして738Aまで活動したところで、第五回目の遠征における撮影旅程も全て終了。あとは山陽道を経由して、中部地方へと帰還しました。

▼.あとがき
 02月26日から27日に掛けての第五回目の遠征では、U5編成の入線確認試験に立ち会えたことが一番の収穫でした。U編成とP編成の共演や引上線から出庫する貴重な姿をこの手で記録出来て嬉しく思います。天候に悩まされることも多かったですが、行った甲斐は十分見い出せた二日間だったことでしょう。
 そして、この2011年新春の五度に及ぶ怒涛の如き山陽地方への遠征を振り返ってみれば、何と言っても800系の山陽新幹線への入線確認試験を思う存分追い掛けられたことが最大の収穫でした。深夜帯の走行試験でしか見ることの出来ない光景やロゴの更新によって見納めとなってしまうような風景を沢山記録することが出来、とても嬉しく思っています。回を重ねる毎に行くべきか止めるべきか悩む回数も増えましたが、その都度『行かなくて後悔するくらいなら、行って後悔する方が良いのではないか』という考えが頭に浮かび、出撃を決意。
でも、それは結果的に正しかったと思います。悔しい思いも沢山しましたが、この一連の遠征ではそれ以上に得るものは大きかったと考えています。
 また、この五度に渡る遠征は、多くの方のご支援があったからこそ実現したものです。さらには道中ご一緒して下さった方々のお陰様で、より一層旅を楽しむことも出来ました。ここに、この場をお借りして今回の遠征に関わって下さった全ての皆様に対してお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。併せて、いつも当サイトにお越し下さっている皆様には大変感謝しております。これからもご来訪下さる皆様方のご期待に添えることが出来るように努力して参りますので、当サイトを末永く宜しくお願い致します。
 さて、2011年03月12日に九州新幹線博多〜新八代間が開業してから間もなく三週間が経とうとしています。このダイヤ改正よって山陽・九州両路線の運行形態は大きく変化しました。相互直通運転が始まり、待ちに待った『みずほ』と『さくら』の営業運転も開始。
九州が益々近い存在となったことは間違いありません。しかし、その一方で九州新幹線では800系から慣れ親しんだ『つばめ』の文字が消え、山陽新幹線ではP編成が定期運用を離脱したりK編成の運転区間が縮小されたりするなど、それは多くの場面で世代交代の時期を迎えることに他なりませんでした。だからこそ、ダイヤ改正前に様変わりする前の貴重な姿を可能な限り見届けたいという想いは強く、800系の一連の走行試験にもどうにか都合を付けて赴いたのです。後々になって『あの時出向いていれば…』というような後悔だけはしたくなかったですからね。そして、今後もそのような過渡期はまだ続くだろうと私は予測しています。100系も2012年春までには姿を消してしまいますし、300系も同じ頃に東海道新幹線から引退してしまうでしょう。そんな時期だからこそ、今のこの時に精一杯活動を続けて行きたい…そんなことを日々思う次第です。

*** 第8章 追撃編 終 ***
*** 羽ばたく燕に明日を夢見て 完 ***
2011.04.01 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS



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