2009年は東北・上越地方への遠征が多かったため、山陽地方へはあまり遠征出来ずにいました。そこで、2009年も終わりに近づいて来た12月の半ばに冬の便りに導かれて1泊2日の旅程で山陽地方への遠征を計画。今回は久々に500系W編成やN700系S1編成の勇姿を少しでも多く捕えるのが旅の主な目的です。旅程の半分は青春18切符での移動だったためいつもの遠征旅行記よりは量が少なめですが、それでも内容は充実していると思いますので、どうぞ最後までご覧下さいね。 |
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↑ 465A |
↑ 514A |
↑ 17A |
12時過ぎにはZ44編成が足慣らしの試運転で下本線を通過。その他、上り列車も下りを撮る合間に何本か撮っていたように思います。ただ、昼過ぎになるとスプリンクラーが停まってしまい、朝のような迫力はなくなってしまったんですけどね(汗)。 |
↑ 507A |
↑ 7993A |
↑ 16A |
13時半を過ぎ、29Aの通過時刻が徐々に迫って来ると今度は同列車を仕留めるための準備に入ります。下りホーム4号車付近へと場所も移動して、超望遠の構図へと切り替えました。 |
↑ 229A |
↑ 109A |
↑ 27A |
14時35分…ほぼ定刻通りにW7編成充当の29Aが登場。緊張が最高潮に達する中、全神経を手先に集中させて同編成を迎え撃ちます。顔に影が入らないタイミングを見計らっていざ勝負!! 果たして、結果は如何に…。 |
↑ 29A |
↑ 471A |
↑ 234A |
…いやいや、頑張った甲斐があったというものですね。結果は無事成功。満足のいく1枚に仕上がりました。名物のスプリンクラーが停まってしまったのは悔しいですが、それでも雪の残る冬らしいカットには仕上がったかなって思っています。29Aを無事仕留めた後は再び上り列車に照準を当てつつ、指定席を予約していた515Aの到着まで撮影を続行していました。 | ||
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19-2.515A(C編成): 米原15時49分発→新大阪16時30分着 | |||
515Aで米原を発つと相生を目指して西へと向かいます。車内では長時間撮影で冷えた体を温めつつ一休憩と言った感じでした。ここでの収穫は新大阪到着時の車内放送くらいでしょうか。それにしても、最近は『ひかり』運用に就く700系もかなり増えて来ましたね。ということは、本線を疾走する300系が徐々に見られなくなって来ているということに他なりません。 |
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300系の勇姿も今後5年以内には見られなくなってしまうので、それまでに悔いの残らないように記録しておかないといけないなぁと改めて感じたひと時でもありました。 |
19-3.765A(V3編成): 新大阪16時38分発→相生17時38分着 |
新大阪からはV編成充当の765Aに乗り換えて相生へと向かいます。19日の同列車にはV3編成が充当されていたかな。久々のV編成は勿論6号車の指定席。500系特有のVVVF音を聞きながら1時間程の旅を楽しんでいたかな。 |
↑→ 2枚とも、765A |
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↑ 765A & 754A |
相生に17時40分過ぎに着くと、そこからは在来線に乗って宿泊先の福山を目指します。本当はZ44編成が山陽区間乗り入れ確認のための走行試験を実施していればそれを捕獲するつもりで新幹線入りしたのですが、どうやら運休になってしまったようで(汗)。う〜ん…残念。まぁ、次の機会にってことなんでしょうね。 相生から更に2時間程掛かって福山入り。結果的には新幹線での移動が多くなってしまいましたが、19日は米原でも良いカットが沢山撮れたことから、それはそれで良しとしましょう。19日の活動記録は以上。 |
20-1.三原の合戦 |
20日は早朝から活動を開始しました。向かう先は三原。今まで三原での対500系戦は惨敗してばかりいたので、今度こそ成功させるべくリベンジを図りに出向いたのです。07時半頃に現着すると、N9編成が岡運から8845Aで下って来ていることが判明。そこで、急いでホームへと上がり、543A充当のE2編成で練習した後、その回送列車を迎え撃ちました。 |
↑ 543A |
↑ 8845A |
↑ 116A |
時間的に山の陰になって車両に朝焼けの眩い光が当たっていないのは少々残念ではありますが、それは致し方ないので妥協することにしましょう。8845Aを撮影し終えると、上りホーム1号車端へと向かって6Aの通過を狙うための準備に取り掛かります。練習は前走りの116A一本のみ。前回はピン甘で撃沈したので、今度は念入りにその辺を確認した上で最終調整を行っていました。そして時は08時21分…いよいよ本番です。 |
↑ 6A |
↑ 544A |
緊張しましたが、漸くリベンジ成功と言ったところでしょうか。今回はピントもバッチリですし、鼻先に影が乗ったりすることもなくベストな1カットを残すことが出来ました。いやいや、早起きして来た…というか中部地方から1泊して来た甲斐があったというものですね。 |
S1編成の前後にはあと少しで0系の後を追うようにして消えゆくだろう100系もしっかりと記録しておきました。特にP編成は岡山以西でしか見られないため、まともに撮れた写真は未だに少ししかなく、宜しくない状況です。満足のいくカットを残すためにも、また100系狙いで岡山以西へと出向く必要がありそうです。 |
↑ 736A |
↑ 738A |
↑ 738A & 552A |
738Aの発車を見送ると、三原での活動は終了。次はS1編成の走行試験の復路を福山で狙うべく、山陽本線に乗って東へと戻りました。 |
↑ 558A |
↑ 742A |
↑ 126A |
20-3.夕陽に黄昏て | |
岡山には15時半頃に着いたかな。ホームへと上がって、まずは757Aの送込回送2730Aの入線を撮影しました。徐々に赤みを帯びて来た光線に照らされて良い感じの1枚に仕上がったと思います。 | |
2730A → | |
しかし、肝心の29A入線時はまさかのどん曇り…(汗)。薄暗い出来になってしまったので撃沈ですね。次回挑戦する時にはしっかりと陽の光が当たっていてもらいたいものです。 |
シャッターを速度が遅過ぎて何が写っているか分からないのが撮れるよりは幾分も増しかなって思いますね。こうして相生で同編成の通過を撮り終えた後は、私も在来線で姫路へとS1編成を追い掛けました。 |
20-5.締めは姫路下2の夜桜見物 |
相生から普通列車でS1編成を追い掛けること約20分。19時頃に姫路へ着くと、急いで新幹線ホームへと上がりました。8943Aの発車時刻までおよそ20分。今回の山陽遠征における最後の活動場所だけあって、とにかく1枚でも多く記録写真を撮影します。 |
↑ 2枚とも、8943A |
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↑ 773A & 762A |
姫路は新下関と違って下2番線側にも発車案内板が設置されているので、記録写真を撮る身としては持って来いな条件でした。また、S1編成の4-5号車間ですが全周幌が試験用に変更されていたのを確認しています。数ヶ月前にこの黒幌を付けた状態で走行していたことは知っていたのですが、その時は見に行けず。でも、まだ付いたままなんですね。この幌も耐久試験の真っ只中という感じでしょうか。 19時24分頃にはS1編成が8943Aとして博総車へ向けて発車。それを見届けると、下1番線に停車中の773Aと向かいの762Aの並びを撮りつつ私も同駅での活動を終了しました。 |
20-5.694A(C編成): 新大阪21時06分発→名古屋22時13分着 | ||||
姫路から新大阪までは新快速で移動。そこから名古屋までは予め購入しておいた『ひかり・こだま自由席用早得きっぷ』を使用して新幹線へと乗車しました。コンコースで駅弁を購入して694Aの車内へ。空いている号車を選んで発車時の車内放送を録音しつつ、名古屋へと戻ります。 途中の岐阜羽島で待避する58Aが在来線との接続待ちを行った関係で10分遅れたため、694Aも名古屋へ定刻よりおよそ10分程度遅れて到着しました。そして、無事22時半頃に名古屋へ戻って来ると、2009年12月の山陽遠征の全行程も終了。あとは在来線を乗り継いで帰宅の路に就いたという訳です。 |
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2010.01.04 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS |
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