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21-1.西下、目指すは新山口 | |||
21日は夕方からの出動となりました。名古屋を17時04分に発車する700系充当の9249Aに乗車。本音は300系であって欲しいと期待したのですが…(汗)。新大阪で暫し休憩して483Aへと乗り換えると、岡山、広島を通り越して新山口には21時25分に到着。ホテルへのチェックインを済ませ、22時前には再びホームへと上がります。 |
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21-2.戦いの幕開け |
ホテルからホームへと戻って来たのは22時ちょっと前。21日最初のS1編成は下1番線に博多方面から逆走入線するとのことでしたので、まずはそれを狙うべく485Aで構図を調整します。それも終わって20分程待つと、22時16分に回送電車到着のアナウンスが下りホームへと入電。博多方面からS1編成が近づいて来ました。緊張のひととき…。 |
← 8940A |
到着後尾灯に切り替わるまではそう時間がないため、いつも焦りますよ。この後はパーツ撮りをしながら徐々に1号車の方へと行き、反対側からも編成写真を1枚。その後折り返し8941Aとしてすぐにまた西へと下って行きました。尚、入線時の様子は動画でも撮影したので、そちらの方も是非ご覧下さいね。 |
↑ 8940A 新山口入線 |
↑ 8941A |
そして、この8941Aの発車を見届けて21日の活動は終了…という訳では当然ありません(汗)。急遽出動したからにはまだまだ話は続きます。 |
21-3.決戦、対S1 |
8941Aの発車を見届けると、折り返しの8942Aが戻って来るまでは暫しの休憩時間です。1時間程ありましたが、居合わせた仲間の方々との話に華を咲かせているとあっという間でしたね。新山口を出発する列車は下りの487Aが最終列車なのですが、新山口止の最終列車がまだあるため、この時間であってもホームには居られるんです。…時は23時17分、本戦の時間が近づいて来ました。 23時20分、S1編成が再び新山口へと帰還。駅の西側にある渡り線の手前で停車し、この日の最終営業列車である53Aの通過を待ちます。来る3連休に向けて地方へと移動する方々が多かったために博多行最終の53Aも自由席が大混雑だったのでしょう。広島発車時に10分程の遅れが発生しており、21日は32分頃の通過となりました。そして、この53Aの通過で遂に戦いの火蓋が切って落とされます。 53Aが通過して1分程経つと、渡り線手前に停車していたS1編成がゆっくりと駅に向かって動き始めました。いよいよです。緊張と期待で胸が一杯のひと時でしたね。いつもと違った点と言えば、これだけ列車が駅へと近づいて来ても下りホームに列車の入線を知らせるアナウンスが入電しなかったことでしょうか。けれども、これは機械の故障ではありません(汗)。その理由は至って簡単。何故ならその必要がないからです! |
← 8942A |
何事!?…という感じの1枚ですよね。アナウンスが必要ないのは、このように下1番線ではなく本線へと入線して来たから。これが下1番線への逆走入線ならば、早朝の750A-757Aや全検明けの試運転列車などでも営業時間帯に見られます。しかし、本線への逆走入線となると営業時間帯ではまず有り得ません。さらにそれだけでも貴重なのに、それに加えて通過ではなく停車&折り返しと来れば、もう是が非でも出撃せずにはいられなかったという訳です。これぞまさに冒頭に述べた「深夜帯の走行試験でしか見ることの出来ない非常に貴重な光景」そのものでしょう。 下本線に豪快に停車したS1編成は折り返しのため、暫くするとライトが尾灯へと切り替わります。今度は上の写真よりも僅かに望遠気味に1枚。因みに、その横は入線時の様子を動画で撮ったものです。 |
投光器で照らされた集電系統は望遠でも撮影。この2枚も怪しさ抜群ですよね。個人的にはかなり気に入っています。 |
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以上が21日の撮影日記です。貴重な光景をこの目で見届けることが出来、本当に良かったですよ。急遽西へと出向くだけの価値は十二分にあったのではないかな。そして、翌22日もこれまた早朝からS1編成の追いかけを開始。密度の濃い1日を過ごしました。そんな、22日の活動を記した次の『迎撃編』も是非引き続いてご覧下さいね。 |
*** 臨戦編 終 *** |
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