*** CONTENTS *** Take the Mission Costarring


 N700系の増備に伴い、定期運用の500系が徐々に姿を消しつつある今日この頃。2008年03月15日のダイヤ改正では1日2往復まで減便されることが決まっており、東海道からの撤退もいよいよ現実のものになりつつあります。しかし、裏を返せば定期運用が減ることということは今まで見られなかった臨時運用に500系が入る可能性も高くなるということ。ダイヤ改正前で言えば、その一例として03月09日に運転された新大阪発博多行の9507Aが挙げられるでしょう。そして、この9507Aの運転に伴い当日朝に実施されたのが岡運から新大阪への送込回送でした。現在、大一両には500系の予備編成が留置されていないため、どこからか回送して来る必要があることは明らかです。しかも、9507Aの新大阪発が11時32分である点から送込回送列車が相生でW編成充当の10Aを待避することが判明。こうなったら是が非でも行かない訳には行きません。そこで、今回も貴重な500系W編成同士の並びを始めとした彼らの勇姿を少しでも多く捕えるべく、1泊2日で山陽地方へと遠征して来ました。
 では、まず最初はその500系並び前日の2008年03月08日分の活動を綴った『出撃編』からどうぞ。

8-1.米原での失敗談
 自宅を10時頃に出てまず向かった先は米原です。到着後下りホームにて撮影の準備をし、18A迎撃の準備をします。前走りの9176Aで試し撮りをすると、いよいよ本番。しかし、千切れ雲の悪戯によって18Aが通過している最中に光量がいきなり変化し、結果は撃沈…(泣)。折角のW1編成だっただけに悔しいなぁ。撮影寸前に光量が変化するのだけは本当に勘弁願いたいものです(汗)。
8-2.500×N700@京都並びに挑む
米原で18Aの撮影に失敗しつつも気を取り直して京都へと向かいます。入京したのは15時前で、ホームに立つとやって来る下り列車を狙いました。


 ↑ 31A


 ↑ 541A


 ↑ 89A
どれも良い感じに撮れたので満足しています。その後は、上りでやって来る28Aを捕獲。
   ← 28A
さらに再び下り側に照準を合わせ、今度は33Aでやって来るW7編成を迎え撃ちます。この33Aですが、上りの30Aが所定ならばホーム端で同列車と並びます。07年07月01日から同年10月13日までは30Aも500系が受け持っていたので500系同士の並びが撮れるとして注目を集めましたね。30Aの充当編成がN700系に変わった後はあまり話題に挙がらなくなってしまいましたが、N700系の営業運転開始が07年07月01日だということを考えれば、間もなく東海道から撤退する500系との並びも案外貴重なものとなるのではないでしょうか。
03月08日は16時07分に30Aが上本線へ停車後、下り側に33A到着の案内放送が入電。

『新幹線をご利用下さいましてありがとうございます。まもなく、13番線に16時12分発のぞみ33号博多行きが…』

ここでに上りホームから30Aの発車を知らせるベルが鳴り響きます。しかし、自由席の乗降の関係か何かでなかなか発車出来ません。所定の擦れ違い位置に上り列車の最後尾が達するのは列車が動き出してから50秒経った頃なのですが、30Aが発車する前に33Aが出現する始末です(汗)。2007年10月28日の2A&5Aの並びの時と殆ど同じ感じでした。結局、その時と同じように33Aの横に30Aが写り込むような構図で撮影せざるを得ず、顔並びは今後の課題となってしまいました(汗)。


 ↑ 30A & 33A
さて、来る2008年03月15日のダイヤ改正で500系充当の9Aと6Aの京都発着時刻がほぼ同時刻となります。入線番線が共に本線同士ならば毎日並びが見られるのですが、残念ながらどちらも副本線へ入線するようで並びには今一歩及ばず(汗)。改正後にも何かの機会にどこかで500系W編成同士の並びが再び実現することを願いたいものですね。
8-3.夕焼けに黄昏て
 駅での活動を一旦終えると、続いては歩いて東山TN西詰めへと向かいました。ここで500系充当の34Aを狙うためです。この日の京都市内は雲一つない青空だったため、東福寺近くの陸橋には10名程のファンが集結。皆で夕ギラ撮影大会となりました。前走りの列車達でカメラの設定と試し撮りを行い、いざ本番です。17時09分に後方から37Aが通過するといよいよ決戦の時…。
34A →   
結果は…個人的には満足のいく1枚に仕上がったかな。日没直前の夕焼け色も良いですが、日没50分位前の黄金色も最高のひと時です。ただ、欲を言うならば最後尾まで車両が入って欲しかったですが…(滝汗)。1号車の中央辺りまでは入っているので、本当にあと僅かだったのが悔やまれました(溜息)。
 そして、2008年春のダイヤ改正時によって夕焼け時間帯に東上する500系が消滅してしまいます。九州で一番夏至の辺りに50Aを撮ると何とか夕刻といった感じでしょうが、それを除けばまず不可能。すなわち京都近郊で夕焼け色の500系を撮れるのもあと僅かということです。それを思うと、今回このような写真を撮ることが出来て良かったです。
 34Aを撮り終えて暫く経つと、光線の色合いにも段々と赤みが増して来ました。17時半過ぎにはそれもピークに達し、辺りは一面夕焼け色に。
422Aと548Aは僅か3分差で京都を発車するのですが、日没寸前と言うのはたった3分の差でこうも印象が違うものだということを改めて感じました。


 ↑ 422A


 ↑ 548A 3枚とも、京都〜米原間にて
8-4.日没後の京都
 夕陽が沈むと日中の活動は終了ですが、米原で撮り逃したW1編成が41Aで下って来ていたため、それを京都で捕獲しに大急ぎで駅まで戻ります。何とか間に合ってカメラを出すと設定を整える暇も無く下本線に41Aが停車。とにかく慌ただしかったですが、何とか間に合ったので良かったです。


 ↑ 41A


 ↑ 379A
8-5.引退間近の31列車
 京都で夕食を済ませると、向かうは宿泊先のホテルがある相生。チェックイン後不要な荷物を置いて今度は姫路へ向かいました。2008年03月15日のダイヤ改正で消滅する寝台列車は03月04日に撮影した『銀河』だけではありません。京都を起点に熊本まで行く『なは』と長崎まで行く『あかつき』もそのうちの2本です。山崎付近の有名撮影地は連日多くのファンが詰めかけているとか。始発が京都だけあって、今まではなかなか都合がつかず撮りに行けなかったこの列車と引退を7日前にして漸く巡り逢ううことが出来ました。31列車は21時53分に姫路に入線、1分の停車時間を経て54分に発車して行きます。停車位置はホームの端ギリギリなため、標準レンズでは到底太刀打ちできない状態です。これは持ち合わせている広角でも厳しいかも…と不安になりましたが、その場にいらした方々のお心遣いのお陰で、無事撮影に成功。因みに、この日は前走する列車が山崎付近で急病人の救護を行った関係で31列車にも約10分の遅れが発生。そのため、普段は1分停車の姫路にも3分程停車していました。


 ↑ 2枚とも、31列車


 
8-6.締めは相生で
 『なは・あかつき』を撮影してからはすぐさま相生に戻り、500Aの捕獲準備を開始。この500Aも春の改正で700系に置き換わってしまうため、そこで『500系のぞみ500号』というのは消滅してしまいます。500Aといえば500系の看板列車のようなものですから是非とも押さえておきたかったのですが、疾風の如く通過していくその速さに打ち勝つことが出来ず撃沈…(汗)。やはり300km/hで走る車両を仕留めようとしても、そう簡単には成功しませんね。また、500Aの通過直前に入線してきた689AはWR編成だったので、こちらも併せて迎え撃ちました。
689A →
こうして689Aを見送ると08日の活動も波乱万丈の末に終了。ホテルへと帰還し、翌09日の決戦に備えました。





 
以上が2008年初春の山陽遠征第1日目の撮影記です。なかなか思うような撮影が出来なかった場面もありましたが、そう簡単には全てが自分の思いのままにはなりません。そういった意味でも振り返ってみれば充実した1日だったのは間違いないかな。さて、翌09日はいよいよ今回が本当に最後かもしれない500系W編成同士の共演という決戦の舞台へ出陣します。定期の“のぞみ”運用から500系が完全に撤退するその日が来るまで、W編成同士の共演が今回で最後とは必ずしも言い切れませんが、それでも今後はまず殆ど見られなくなってしまうだろうと考えています。そんな09日の決戦の舞台を綴ったのが次の『共演編』ですので、是非そちらの方もご覧下さいね。

*** 出撃編 終 ***



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