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 2007年07月01日のダイヤ改正からはや4ヶ月が経過しようとしていた2007年10月末。徐々に500系W編成は定期運用から外れて行き、間もなく短編成化改造工事も始まる頃でしょうね。そんな中で実現したのが今回のW編成同士の貴重な共演でした。定期運用から外れたからこそ実現したこの並び。今後あと何回あるかも分からない代物だけあって、もうこうなれば出撃しない訳にはいかず。そこで、去る10月28日から1泊の旅程で彼ら16両500系の勇姿を少しでも多く捕らえるべく、山陽地方へと出陣して来たという訳です。最初の『臨戦編』は28日に京都市内などで撮影した写真を集めた紀行文。そして、W編成同士の共演を綴ったのが29日分の撮影記である『共演編』になります。両者とも充実した内容ですので、是非ともご覧下さいね。

 では、まずは最初は2007年10月28日の活動を綴った『臨戦編』からどうぞ。
28-1.臨戦、京都並び
 自宅を05時頃に出発し、約2時間半掛けて京都へ。ここでは11月01日で見納めとなる500系同士の離合を見届けるのが一番の目的でした。2Aの京都発車が09時09分なのに対して、5Aの京都到着は09時11分。定刻であれば両者が東京方で並ぶという寸法です。10月13日までは16時10分頃に30Aと33Aの並びも見られたのですが、既に30Aの方が運用変更でN700系に変わっているため今はもう見ることが出来ません。
1A →
 現地に着くと下り列車に照準を合わせて活動を開始。まずは1A、その後は393A・3A…といった感じで来る列車達を狙いました。


 ↑ 393A


 ↑ 3A


 ↑ 3101A
そして、暫く撮ったところで本命の離合時間となりました。09時07分に2Aが上本線に停車後、下り側に5A到着の案内放送が入電。

『新幹線をご利用下さいましてありがとうございます。まもなく、13番線に09時12分発のぞみ5号博多行きが…』

ここでに上りホームから30Aの発車を知らせるベルが鳴り響きます。しかし、自由席の乗降の関係か何かでなかなか発車出来ません。所定の擦れ違い位置に上り列車の最後尾が達するのは列車が動き出してから50秒経った頃なのですが、2Aが発車するのとほぼ同時くらいに5Aが出現する始末です(汗)。これでは、顔がホームの日陰部分で並んでしまうのは明らかでした。そこで、急遽構図を変更。
2A & 5A →    ← 2A & 5A
 結局、5Aの横に2Aが写り込むようにして500系同士の離合を迎え撃つに至りました。でもまぁ、これでも500系同士だというのは分かりますから、良しとしましょう。初めての離合撮影だったことを踏まえれば、十分満足のいく結果だと思います。その後は09時半頃にやって来たC12編成の送り込み回送7825Aまで撮影を続け、一旦京都からは撤収しました。
28-2.9A/6A並びと10Aを狙う
 続いては、東山TN西詰めにてW編成とN編成のの離合を狙います。10時09分、後方より9Aがやって来ました。しかし、1時間前の2Aと5Aの時と同様に、上りの6Aがまだやって来ません(汗)。結局はかなり駅寄りでの離合となってしまったので、ちょっと残念でしたね。
   ↑ 9A & 6A
 
408A ↑   
10A →   
 500系とN700系の離合を撮影した後は再び駅へと戻り、今度は駅ビルより五重塔を背景に10Aを撮影しました。ガラス越しで終日逆光という厳しい条件下でしたが、京都らしい光景であるのと同時に、500系が東海道から撤退してしまったら見られなくなる光景の1つなので撮影する価値は十分にあるのではないかと考えています。
28-3.迎え撃つは17Aと18A
 その後は再度近場の撮影地へと移動し、17Aと18Aを目標に撮影開始。この場所は下りの光線状態さえ良ければ上下とも綺麗な編成写真が撮れる場所で、狙える構図も結構沢山ありました。ただ、到着してすぐに17Aがやって来てしまい、こちらは痛恨の撃沈(汗)。何とも悔しかったです。17Aを撮ると、上下共やって来る列車達を狙っていたかな。
367A →
この場所で下り列車を撮ると、上り坂を駆け上がって来る迫力ある写真となります。勾配と曲線の組み合わせにより、とても動きのある画を撮ることが出来る場所だと改めて感じました。また、上り列車は超望遠でも撮影。こちらも上り坂を駆け上がって来るダイナミックな姿を捕らえることが出来たかなと感じています。
121A ↑   
左から、9232A 370A →   
 そして、いつしか今度は上りの500系の通過時間。今回は中望遠で迎え撃ちました。対18Aでの対戦結果は、顔切もなく良い感じに決まったのでほっと一安心です。


 ↑ 372A


 ↑ 18A
 18Aの通過を見届けた後は、この場所から撤収して大阪市内へ。
28-4.夕刻の大阪市内
 途中大一両に立ち寄りつつ、やって来たのは大阪市内にある撮影場所。ここでは33Aの他にZ7編成充当の1853AやE編成充当の473Aも見送りました。


 ↑ 33A


 ↑ 1853A


 ↑ 473A
 33Aの撮影後はさらにまた別の場所へ移動して夕焼けギラリの34Aを撮影。30Aが10月14日からN700系に変わってしまったため、名古屋近辺ではもう500系と夕焼けを絡めて撮ることが出来ません。しかし、大阪市内ならまだ間に合いました。撮影場所に到着すると、奥の方が夕陽で橙色に輝いているではないですか(驚)。これにはもうびっくりでしたね。あまりの綺麗さに感無量です。
9184A →
夕焼け真っ只中と言わんばかりの光線状態の時に34Aの前走りの9184Aが通過。その直後に太陽が雲の中へ隠れしてしまった時はどうなることかと冷や汗をかいたものの、34Aの通過時は願い叶って再び陽の光が雲間から射してくれ、会心の1枚に仕上げることが出来ました。
   ← 34A
 夕刻の大阪市内での撮影を終えると、次は新大阪へと向かいます。
28-5.神戸の夜
 新大阪からは新幹線での移動です。28日2回目の500系並びに備えるため、早めに新神戸まで移動しようと考えた訳です。…けれども、自由席特急券を追加購入してホームへ上がると24番線の発車案内に『回送980』の表示を発見(驚)。『回送980』と言えば、923形の本線検測上り3980Aがまず始めに頭に浮かんだため、これには驚きました。結果的には営業列車の返却回送が入線し、謎は程無く解決。
 その後は新大阪19時11分発の65Aに乗って新神戸へと向かいます。自由席は満席状態で、デッキにも結構人がました。新神戸に着くと、夕飯を食べがてら早速49Aと50Aの並びを撮るための準備を開始。この並びも2007年11月01日から50AがN700系に変わってしまうため、撮影出来る機会は限られてしまっているのが実情です。
ただ、両者は定刻だと同時発着なため49Aが停まりかけたころに50Aが発車して行ってしまうんですよね。ということで、今回は綿密に画角を合わせて撮影に挑みました。20時38分、上り側で50A入線の案内放送が流れ始めると、ほぼ時を同じくして下り側でも49A入線の案内放送が入電。段々と緊張も高まります。20時39分、神戸TNより50Aが入線し、減速して停車。と同時に反対側にも49Aの姿を確認。これなら並んで停まっている時間はいつもより長いかも…そんな期待が持てた瞬間でした。そして、すぐに49Aが所定の位置に停車し、見事に並びの実現です。
49A & 50A →
もうとにかく撮れるだけ撮っていたかな。数枚撮影したところですぐに両者とも扉が閉まって新神戸から去って行きました。
 両者の並びが終わってからは、30分後と1時間後にあるN700系と700系の並びまで流し撮りなどをしつつ時間潰しです。700×N700並びは、最初が下り側に700系・上り側にN700系という配置。こちらも並んで停まっていた時間が長かったので、良い感じに撮れました。その30分後には逆の配置で再び並びが実現。最後の並びも満足のいく出来に仕上がったと思っています。因みに、50Aが11月01日よりN700系へ受け持ちが変わり、49Aもその後を追うように12月01日からN700系へと変わります。…それは、裏を返せば新神戸で500系とN700系の並びが撮れるのはこの11月の1ケ月間のみということです。これから増えていくN700系ですが、去りゆく500系との並びも案外貴重なものだったりするのかもしれませんね。


 ↑ 69A & 52A


 ↑ 51A & 54A
そんなことを考えながら51Aと54Aの並びを撮ると、28日の活動もこれにて終了。新神戸からは385Aで相生まで移動し、翌日に備えてホテルへと入りました。





 
以上が2007年秋の山陽遠征第1日目の撮影記です。結局、28日は京都の離合から始まり、本当に500系三昧の1日でした。訪れた場所の中には初めて撮影する場所もあり、とても充実した1日だったように感じます。そして、翌29日はいよいよ500系W編成同士の共演という決戦の舞台へと出陣。500系同士の追越&待避というのは、車両運用の関係上今までは殆ど見ることが出来ませんでした。たまに車両変更等で実現する時もあったでしょうが、大抵の場合そういうのは突然変更が掛るため、撮影出来ず。従って、今回の共演はとても楽しみにしていたんですよね。そんな29日の決戦の舞台を綴ったのが次の『共演編』ですので、是非そちらの方もご覧下さいね。

*** 臨戦編 終 ***



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