*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.Hard Fighting 02.Interception 03.Endeavor to Fight 04.Final Parting 05.Epilogue



*** 英雄達の鎮魂歌(レクイエム) ***
 2012年03月16日、東海道・山陽新幹線で活躍した100系と300系がその役目を終え、多くの人々に見送られて現役を引退しました。「国鉄変革の象徴」として誕生した100系と新幹線高速化の礎を築いた300系。引退当日には駅や沿線各地で彼らの最後の勇姿を見届けた方も多かったのではないでしょうか??この『 英雄達の鎮魂歌 』は、そんな彼らの現役引退までの一ヶ月を追った撮影&乗車記です。貴重なカットも沢山集めましたので、是非とも最後までご覧下さいね。

 では、まずはPrologueということで、両者の営業運転開始から引退に至るまでを少しばかり振り返ってみるとしましょう。
T.NEW SHINKANSEN - TEC 100
 今から27年前の1985年10月01日、東海道新幹線開業時から活躍を続けてきた0系の置き換えを目的に、新たな新幹線車両が登場しました。「New Shinkansen」100系。鋭い顔つきが印象的な流線型の先頭形状や、2階建車両を始めとした豪華な車内設備は多くの人々の注目の的となったことでしょう。最初は、2階建て食堂車と2階建てグリーン車が1両ずつ組み込まれたX編成が東京〜博多間の「ひかり」に充当される形で営業運転を開始。国鉄が民営化されると、JR東海から食堂車の代わりにカフェテリアを組み込んだG編成が登場。1989年にはJR西日本から2階建て車両を4両に増やしたV編成「グランドひかり」も営業運転を始め、100系は「新生JRの象徴」として脚光を浴びました。『シンデレラ・エクスプレス』や『X'mas Express』のCMは社会現象を巻き起こす程の人気を博し、100系の人気ぶりは右肩上がりで上昇していきました。
U.SUPER HIKARI - TEC 300
 国鉄が分割・民営化されJRが発足すると、100系に次いで270km/hでの営業運転を目指した300系の開発が始まりました。当時まだ「のぞみ」という愛称はなく、「スーパーひかり」と呼ばれていた300系。開発者の方々の幾多の努力により車両の大幅な軽量化が実現した他、VVVFインバータや電力回生ブレーキといった革新的な技術が多数実用化され、1990年03月08日に量産先行試作車のJ0編成(後にJ1編成へ改番)が世に送り出されます。その後J0編成によって様々な試験が行われ、1992年03月14日に晴れて「のぞみ」として営業運転を開始。同年12月にはJR西日本所有のF編成も登場し、その存在感は益々強くなりました。ただ、早朝の東京発新大阪行「のぞみ301号」が1997年まで名古屋と京都を通過するダイヤで運行されていたため、300系と言えば『名古屋飛ばし』と利用客や沿線から揶揄された時期があったことは否めません。とはいえ、大きな技術革新を齎した300系の勢力拡大は留まることなく、1998年までにJR東海所有のJ編成が61本、JR西日本所有のF編成が9本の計70本が増備され、次期主力車両として0系に変わって活躍の幅を広げていきました。
V.更なる技術革新の裏で
 300系の営業運転開始により、新幹線は高速化の時代に突入。1997年には500系が、1999年には700系がそれぞれ営業運転を開始し、東海道・山陽新幹線を走る車両は運転速度・快適性の両方が格段に向上していきました。しかし、走行性能では0系との大差が無い100系はそんな21世紀に向けた高速化の波に乗ることが出来ず、登場から僅か15年で現役引退の危機に瀕してしまいます。結局1999年夏頃から700系の増備に合わせてX編成の廃車が始まり、100系は少しずつその数を減らしていきました。2002年11月23日にはV編成が博多〜新大阪間でさよなら運転を実施し、現役を引退。最後まで活躍したG編成も、2003年09月16日の「ひかり309号」をもって東海道新幹線における営業運転を終えてしまいます。一方、博多総合車両所では2000年頃から役目を終えたV編成と一部のG編成に対して短編成化の改造工事が始まっていました。JR東海から余剰分のG編成を買い取り、その先頭部をV編成の中間車両に移植する大改造に当時は目を丸くしたものです。
 こうして16両での役目を終えた100系は、4両のP編成及び6両のK編成に短くなると共に、アコモデーション改良に併せてグレーを基調とした塗装に変更され、山陽新幹線内の「こだま」として余生を過ごすことになったのです。
W.完全消滅へのカウントダウン
 2003年以降、暫くは100系にとっても300系にとっても平穏な時期が続いていました。しかし、100系の東海道引退から4年が経過した2007年。とうとう300系の行く末にも暗雲が立ち込め始めます。系式初の廃車は2007年03月30日、量産先行試作車J1編成の勇退から始まりました。次世代新幹線N700系の開発に従事するため、2000年頃から営業運用を外れて試験車両として活躍してきたJ1編成。試験車両故に何時走るかさえも掴みにくかった点やその量産車とは全く違う印象の顔つきに魅了されていたファンも多く、同編成の現役引退は当時の新幹線界では大きな話題となりました。その後同年07月01日にN700系が営業運転を開始すると、J編成の廃車もいよいよ本格化してしまいます。東海道新幹線の主力車両として活躍を続けてきた300系も、流石に2000年代の最新技術には叶わずといったところなのでしょうね。浜松工場ではひと月に一本程度の割合でJ編成の廃車・解体作業が進められ、徐々にN700系への世代交代が進んでいきました。
 さらに、N700系の増備によって500系までもが東海道新幹線からの撤退を余儀なくされ、山陽新幹線においても世代交代の動きが徐々に広がっていきます。東海道新幹線から撤退した500系は短編成化改造の後に8両のV編成を名乗り、2008年12月から「こだま」として営業運転を開始。それに伴い、余剰となったP編成は全て解体の運命を辿りました。
 そして、300系の廃車が進む中、2010年05月にはJR東海が300系を、JR西日本が100系をそれぞれ2012年春を目途に引退させる意向を持っている旨が報道され、100系と300系の完全消滅がいよいよ現実味を帯び始めます。同年07月から09月にかけてK53編成〜K55編成が登場当初の青白塗装に戻されると、100系の勇姿を追うファンの数も徐々に増えていきました。休日ともなると、その勇姿を見届けるために多くの方々が沿線へ出向かれたことでしょう。それまで「まだまだ元気に活躍している車両」だった両系式の位置づけが「終焉が近づきつつある車両」に変わったのも、この頃からの様に思います。
 2011年03月12日のダイヤ改正では、山陽・九州新幹線の直通運転が始まり、N700系S編成及びR編成充当の「みずほ」・「さくら」が登場。この改正で、これまで「ひかりレールスター」として活躍してきた700系E編成が「こだま」へ格下げされ、玉突きでK編成の運用が減少しました。2011年度に入ると、S編成の増備に伴ってK編成は順次E編成に置き換えられ、100系の淘汰が一気に進んでしまいます。東海道新幹線においても、60本の大所帯であったJ編成が2011年04月には9本に激減。それまでは当たり前のように見られた車両だったのが、2007年03月のJ1編成の廃車開始から僅か4年半足らずで、目星を付けなければ見られない車両になってしまいました。
Y.とうとう明かされたXデー
 2011年07月には遂にF編成の廃車も始まってしまいます。廃車第一号はF5編成。07月11日から12日に掛けて、広島運転所から浜松工場へやって来ました。JR西日本所有の編成が浜松工場へ入場した実績は、2010年02月に実施されたT5編成の全般検査以来およそ一年半振りのことです。加えて、F編成の廃車に併せてJR東海から700系C編成9本がJR西日本に譲渡されたことで、青いJRマークを纏ったC編成も活躍を始めるようになりました。そうこうしているうちに、300系の数はとうとう一桁台にまで減少。100系に関しても、グレーにフレッシュグリーンのラインを配したJR西日本色の編成が夏を境に一気に姿を消してしまいます。
 それから間もなく、JR東海・西日本両社より300系引退についての公式発表がなされました。追って2011年12月21日にはJR東海からさよなら運転の詳細が発表され、Xデーが2012年03月16日と判明。同時に、J編成が定期運用終了後に特別装飾を施した上で臨時列車として走行することも明らかとなりました。
 年明け2012年01月20日にはJR西日本も100系と300系のさよなら運転の概要を公表。これにより、山陽新幹線においても03月16日に100系と300系の2系式が同時に引退することが確定します。100系のさよならイベントはてっきり300系の一週間前にあるだろうと予想していたので、2系式の同日引退という発表には正直驚きましたね。それも、J・F・K編成の勇姿全てを見届けることはかなり困難な日程だったので、最終日にどこへ出撃するかに関しては結構悩みました。その結果、JR東海のJ編成ならば最終走行前にも特別装飾を施して走る貴重な姿を記録することは可能だと判断し、さよなら運転当日は山陽地方でK編成とF編成の勇姿を見届けることに決定。私の100系と300系の追い掛けも遂に最終幕へ突入です。
Z.最終決戦を前に
 2012年02月01日にはとうとうJ編成の定期運用が惜しまれながらも終わりを迎えてしまいます。この日は私も装飾無しJ編成の最後の勇姿を地元の名古屋にてお見送り。また、02月09日には役目を終えるJ56編成の廃車入場に立ち会うために早朝から浜松工場へも出向きました。
 02月01日の天気は悔しくも曇り空でしたが、02月09日は文句なしの冬晴れに恵まれ、嬉しく思っています。清々しい気持ちでJ56編成の最期を見送れました。それから、02月16日には100系のさよなら運転列車9445Aの切符を取るための10時打ち争奪戦にも参加。すると、何とまた指定が取れたのです。流石に今回は0系の時のように上手くはいかないだろうと思っていたので、これには私も驚きました。撮影&乗車の両方を果たしたかっため、記念乗車証は諦めざるを得ませんでしたが、それでも記念列車への乗車の夢が再び叶うと思うと、その喜びは大きかったですね。こうして残り一ヶ月の追撃態勢を整えると、いよいよ翌17日からはラストスパートを掛けて装飾J編成との決戦に挑むのでした。

*** Prologue 終 ***



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