*** 第3章〜第4章執筆にあたり *** | |
2009年09月03日から04日及び同年09月17日から18日に掛けてのE5系撮影紀行が先の第1章〜第2章でした。この時はまだ日中の走行試験は始まっておらず、S11編成の活躍は深夜帯にしか見られなかったんですよね。それでも本線での勇姿をいち早く見届けたいと思い、二度に渡る東北地方への遠征を挙行。また、同時期には試験車両特有の暫定的な条件変更試験も行われており、それも出撃を決める大きな理由となったことをよく覚えています。 それから1ヶ月後の10月中旬には日中の走行試験が始まると共に新潟新幹線車両センターの一般公開にも顔を出しました。11月18日には北上以北へ初めて乗り入れ、走行試験区間もそれまでの仙台〜北上から仙台〜盛岡及び仙台〜八戸へと延伸。さらに、12月09日には10両編成時の停車位置確認のため初となる上京も果たします。 |
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年明け2010年01月下旬からはE3系R21編成を従えての併結走行試験も開始。そして、01月27〜28日と02月03〜04日にはS11編成とR21編成が併結した形で再度東京へとやって来ました。この二度に渡る上京は16両編成時における停車位置確認が主な目的だったようです。そこで私もS11編成との久々の再会を果たすと共に併結編成の勇姿を然りと見届けるべく、後半の02月03〜04日に焦点を絞って関東地方へと出陣して来ました。今回の主な活動地点は東京近郊と小山周辺でしたが、撮影対象が併結編成に特化しているため他の車両はあまり狙えていません。ですが、その分S11編成に関する内容の方は十分濃くなっているかと思いますので、どうぞ最後までご覧下さい。 では、まず最初は2010年02月03日の撮影紀行である第3章『臨戦編』からです。 |
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3-1.午後の決戦に備えて |
03日は豊橋より460Aで関東入りです。03日に標的が関東地方へと顔を出すのは午後だったため、午前中は沼部付近の撮影地で東海道新幹線を撮影していました。ただ、生憎の曇り空で出来栄えはあまり良くないため、ここへの掲載は割愛させて貰いますね(汗)。 |
31-2.前座はS51編成 |
6Aを沼部付近の撮影地で撮影後は東京経由525Eで大宮へ。13時29分に着くと13番線に新一運から上って来たS51編成が停車中でした。 |
↑ 3枚とも、7904C |
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7904Cは大宮で30分程度停まるようにダイヤが組まれているため、比較的ゆっくりと撮影出来たかなって思います。ただ、一番外側の番線だけあって足回りが写らないのが惜しい点ではありますが…。 |
3-3.決戦の舞台、小山 |
大宮からは7904Cの発車前に257Bに乗車。決戦の舞台、小山へと向かいます。14時頃に現地に着くと、早速本番に向けて準備を始めました。前走りの練習は3014Bと54Bの2本。空模様は雲こそはあったものの、陽の光だけはまだしっかりと車体にも射していてくれたのでありがたかったです。 |
↑ 3014B |
↑ 54B |
ピントを念入りに調整しただけあってどちらも良い感じに決まってくれ、ほっと一安心と言った感じでした。あとはこのまま本番を待つのみです。が、ここへ来てまさかの事態となってしまいます…。9630Bが通過するであろう時刻まで既に10分を切っているというのに、陽の光が雲に遮られてしまったではないですか(汗)。はっとして空を見上げれば、さっきまで晴れていたのに、駅の上空にだけ分厚い雲が…(焦)。しかも、どう見てもあと10分で抜け切るとは思えません(溜息)。結局は太陽が雲隠れしてしまっている間に併結編成がやって来てしまいました。 |
↑ 9630B |
↑ 9630B 小山通過 |
結果は、曇ってしまったこともあってまずまずと言った感じでしょうか。でも、顔を切ったり運転台窓に架線ビームの写り込みが出来たりと言ったようなことにはならなかったのだけは救いでしたが…。天気ばかりは仕方の無いことなので、そこは妥協する他術がなさそうです。9630Bの通過を見届けると、私もそれを追い掛けて274Bで東京へと向かいました。 |
3-4.夕刻に吹く翡翠の風 |
先行する9630Bは大宮にて274Bの発車を待つダイヤだったため、東京へと先回りして9630Bの到着を再度迎え撃ちます。ただ、274Bの東京到着が15時44分なのに対し、9630Bの東京到着予定時刻は15時52分…先回りしたとは言え、その差は8分しかありません。その僅か8分の間に274Bの到着した22番線から撮影場所となる23番線上野端へと安全に移動し、且つカメラの設定を整えなければならなかったため結構焦りました。何とか間に合って設定を終えると、1分と経たずに併結編成が東京へ差し掛かります。 |
"S11"という編成番号も辛うじて写ってくれたので、満足しています。この時間帯は編成全体がビル影の中に入ってしまうのですが、どうしても渡り線を渡って駅へと進入して来るカットを撮りたくて。それにしても、夕陽が車体にほんのりと反射してくれたのには驚かされましたよ。こういう写り方をするとは全く以って予想していなかったので、有難味の増す1枚になりました。 入線後は東海道線ホームへと移動して、併結部付近で発車時刻まで記録写真を撮っていたかな。 |
併結部分のアップの他、駅標を入れた構図でもその姿を狙ってみました。原寸大で見ると乗務員扉の"S11"という表記もしっかりと見て取れることからも、この1カットが同編成が試運転で東京へと乗り入れた立派な証となったことでしょう。 | |
←↑ 5枚とも、9630B - 9631B | |
16時04分には9631Bとして20番線から発車して行った併結編成。折り返し向かうはすぐ隣の上野です。というのも、併結編成の今回の主な上京目的は停車位置の確認でした。そのため、東京でも全てのホームへと入線する必要があったのです。上野で30分程時間調整を行って、次は23番線へと入線。到着予定時刻が16時52分だったので、東海道新幹線ホームから狙えると踏んだ私はそちらからS11編成が先頭でやって来る併結編成を迎え撃つことにしました。 |
…が、9632Bの方が若干早着気味だったお陰で、14番線から発車して行く121Aが抜け切らずホーム中腹からの撮影は失敗(汗)。結局23番線入線時お決まりのあまり綺麗でない1カットしか撮れず終いです。9632Bが定刻でやって来てくれていたら、足回りまで綺麗に写せたのですが(溜息)。う〜ん…悔しいなぁ。 14番線側から数枚撮って、再び東北新幹線のホームへ。続いて23番線品川端から停車中の編成全景を捕えます。その後は14番線に入線して来たN700系と絡めてもう1カット狙ってみました。因みに、S11編成の奥に写っているのは偶然にも『11』繋がりのN11編成。撮影時にはそこまで気にしていなかったので気付きませんでしたが、後で見つけた時には少しばかり驚きました。東海道新幹線ホームからの撮影時に被られた代わりにこの数奇な組み合わせが撮れたので、まぁ良しとしましょう。…そして17時04分、併結編成はR21編成を先頭に再び上野へと向かいました。 |
↑ 4枚とも、9632B - 9633B |
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9633Bの発車を見届けると50分後の17時52分に再び併結編成は東京へと舞い戻って来ました。今度の入線番線は21番線です。ただ、その時間は22番線に17時56分発の3029Bが16両編成で居座っているため、入線時前照灯の状態では22番線側から編成全景を撮影することが出来ません。けれども、あまり欲張ると肝心の撮りたいカットで失敗する可能性があったことから、9630Bが入線して来ても3029Bの発車時刻まではじっと22番線品川端に待機していました。…そうして、3029B発車後。 |
↑ 9634B - 9635B |
↑ 9634B - 9635B & 334C - 1341C |
無事撮りたいカットを押さえることが出来たので、ほっと一安心という感じですね。ごく在り来たりな構図ではあるのですが、それでも焦って撮った1枚よりはよっぽどまともに撮れているのではないかなと思います。3029Bが22番線を発って4分後には334Cが22番線に入線して来たため、今度こそ21番線側へ移動してE1系とE5系の並びを撮りました。03日の334C-1341CにはM1編成。E5系が営業運転を開始すればE1系も少しずつ数を減らして行くでしょうから、この並びも貴重な光景になりそうです。 こうして18時04分には9635Bとして21番線から併結編成が上一運へ向けて発車。それと同時に03日のS11編成の追い掛けもこれにて幕を下ろしました。その後は夕食を済ませて新大阪から上京して来たT4編成を撮影。そうして21時過ぎに宿泊先の小山へと向かうと、03日の活動もこれにて終了です。 |
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03日はやはり午後からが忙しかったですね。小山での撮影は曇ってしまって100%満足…とまでの結果は残せず悔しい思いをしましたが、それは致し方の無いこと。東京にて短時間の間に何回もS11編成を迎え撃てたことも合わせれば、密度の濃い充実した1日だったと思いますね。さて翌04日は小山を基点に再びS11編成を狙い撃ちます。果たして04日はどこまで思い描いたような撮影が出来たのか…。それを記した続きの第4章『応戦編』も是非御覧下さいね。 |
*** 第3章 臨戦編 終 *** |
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