*** CONTENTS ***
00.Prologue 01.Encounter 02.Preparations 03.Fighting 04.Meet Again 05.Interception
06.Try My Best 07.Decisive Stage 08.Connection-1st 08.Connection-2nd 09.Mission Again 10.Quest for Dreams
11.Fulfill My Wish 12.Firsthand Inquiry 13.March Onward 14.After the Gale 15.Final Approach 16.Epilogue



 最後は2009年06月13日から15日に掛けての撮影紀行である最終章『惜別編』です。来て欲しいような、来て欲しくないような…そんな複雑な気持ちが入り交ざる最終走行の時がいよいよ目前に迫って来てしまいました。本章では本線最終走行前々日の夜から前日朝に掛けて行われた最後の走行試験に出向く様子から、15日のラストランまでを纏めました。そんなE954形S9編成の最後の勇姿を篤と御覧下さい。

************************** 電車運用 **************************
 06/13
 高   崎  S09  9760C
 06/14
 高   崎  S09  9871E - 9872E - 9873E - 9874E - 9875E - 9876E
 新一運所  S09  9761C
 06/15
 仙台総車  S09  9720C - 9621B
 新一運所  S51  7900B - 7901E - 7902E - 7903C
************************** 電車運用 終 ************************

13-1.夜の帳が下りる頃に
 13日は昼過ぎに自宅を出発し、長野道〜北陸道経由で新潟へ。現地に着いたのは19時頃だったので、まずは駅ではなく新潟新幹線車両センターに行ってみることに。ただ、公道上から見られる範囲がかなり限られているため、撮影条件としてはとても厳しかったですね(汗)。着発線は建物内なので全く見えず。唯一見えるのは着発線と検修庫を行き来する時くらいでしたが、私の居る時間帯に構内移動も無く。さらには検修庫にS9編成が居るかもと期待したのですが、残念ながら見える番線には停まっておらず終い。でもまぁ、S9編成は見られなかったものの、初めて行った場所だっただけに営業列車でも良い記録にはなりました。
13-2.決戦の時:9760C & 6345C…その差約1分
 新潟新幹線車両センターに暫く居た後は、送込回送を迎え撃つために駅へと出陣。今回は下本線入線ではあったものの、入線直後は上本線にM編成充当の6345Cが居座っているとのことっだたため、初めは下り側から入線風景を撮影することにしました。21時55分に回送列車到着の案内放送が入電すると、いよいよ決戦の始まりです。まずは停車する少し前にホームの発車案内板と絡めて1枚。後ろには現在上越新幹線内のみでしか走っていないE1系の姿もあり、『上越新幹線らしさ』を引き出せた1枚になったかなって思っています。
9760C →   
 さらに、停車後今度は6345Cの発車時刻直前に上りホームへ。発車までに構図等を調整して待ち構えます。ただ、伝え聞いたところによれば2週間前の05月30日は6345Cが退いて10秒と経たないうちに、1週間前の06月06日に至ってはそもそも6345Cが退く前にS9編成が発車してしまったそうで(汗)。
そのため、果たして無事編成写真を撮ることが出来るのかどうかというのはその瞬間まで分からず、心配でなりませんでした。もし13日も6345Cが退く前に動き出してしまったら…、そう考えると居ても立ってもいられなかったですね(汗)。そんな中、22時00分50秒には上本線に回送列車発車を告げる駅員氏の放送が入電。22時01分00秒、上本線に居座っていた6345CことM2編成が車両センターへ向けて動き出します。01分10秒、M2編成加速中、S9編成まだ動かず。01分20秒、M2編成の最後尾がS9編成E954-1の横を通過。01分30秒、S9編成の編成全景が徐々に見えてくる。遠ざかるM2編成。S9編成はまだ停車中。シャッターチャンスは今しかない!!
01分40秒、遠ざかるM2編成の尾灯に目を遣りつつもとにかく全景を撮影。01分50秒、下本線に回送列車発車を告げる駅員氏の放送が入電。22時02分00秒、9760C発車。
5枚とも、9760C ↑→   
 入線後始めの2分間は下りホームから東京方先頭車の写真を何枚か撮っていたのですが、忙しいのは上のようにその後でした。編成写真を撮ることが出来なければ新潟まで出撃した意味が半減してしまう…そんな不安な想いに駆られながらの1分間というのは本当に長かったですね。でも、何とか無事撮ることが出来て本当に良かったです。遠ざかる6345CがE1系だということもはっきりと確認出来ますし、これぞ当に私が撮りたいと望んでいたカットそのものです。新潟まで赴いた甲斐がありました。
 こうして深夜帯走行試験最終日の送込回送を無事送り出すと、13日の活動も終わりです。
本当は停車している様子が綺麗に撮れると聞いた軽井沢まで追い掛けたいという想いもありましたが、流石に翌朝の返却回送までに再度新潟へ戻って来るのは難しかったので敢え無く断念せざるを得ませんでした。
14-1.早朝に吹く翡翠の疾風
 14日は06時に起床し、06時半には駅のホームへ。S9編成の返却回送9761Cは上本線入線だったことから、下り側東京寄にスタンバイです。直前の列車でカメラの設定やピントなどを再確認しつつ本番に挑みました。06時59分に上本線から304Cが発車すると、息つく暇もなく回送列車到着の案内放送が入電。すぐにS9編成の姿が見え、いよいよ本番です。
結果は無事成功。いやいや顔に架線柱の影が乗らなくて一安心ですね。入線後は急いでレンズを標準系に付け替えて、停車中の同編成を狙いにホーム中程へと出向きました。


 ↑ 4枚とも、9761C


 


 
1号車側から後追いを撮りつつ、8号車側へ。停車時間の間に何とか8号車端まで到達することが出来たのでアローラインの長い鼻先も改めて撮影しました。奥に停まっている200系と絡めて撮ったこの写真、実は原寸大では『新潟』の駅標も辛うじて写っているのですが、流石にこの大きさでは見えないかな(汗)。それならば…ということで、車体側面のロゴと『新潟』のコラボで何とか駅標と絡めてみたのが中央の1枚です。発車時間ギリギリに撮ったものの、結構良い感じに決まってくれたので嬉しかったですね。
 S9編成を新潟新幹線車両センターへ送り出すと、あとは08時過ぎまでホームで営業列車を撮りつつ駅を後にしました。


 ↑ 301C


 ↑ 308C


 ↑ 481C
14-2.思わぬ遭遇
 駅を後にした私は一休憩してから、S9編成の様子を見るために見えないと分かっていながらも新潟新幹線車両センターへ。前日に検修庫の様子を撮影した場所から同じように庫内を撮影していました。すると、予想とは裏腹に検修庫の奥の方にいるS9編成を発見してしまったのです。しかも、撮影している間に前照灯が点いたではないですか(驚)。そこで構内移動の可能性に賭けて暫く待つことに予定を変更。そうしたら10分と経たないうちに検修庫の中から警笛が鳴り響き、案の定S9編成の構内移動が行われました。
まさかこのタイミングで本当に構内入れ替えが見られるとは思っていませんでしたので、正直驚きましたよ。期待はしていたのですが、それが実現することになろうとは(驚)。陽の光も薄らとではありますが射してくれ、満足のいく2枚となりました。
14-3.浦佐経由でみなかみへ南下
 新潟新幹線車両センターでS9編成の構内入れ替えを見届けると、14日のメインイベントは終了です。とは言ってもまだ日の入りまでにはかなり時間があったことから、宿に直行するのではなくて浦佐周辺で撮影を楽しみつつ徐々にみなかみへと南下して行くことにしました。
 ↑ 1328C  ↑ 6326C  ↑ 2321C


 ← 1327C  ↑ 9015C
 最初に訪れたのは浦佐〜長岡間の撮影地。ここも上越新幹線内で手軽に撮影出来る数少ない場所ですよね。2時間程の間に200系やE1系、E4系を迎え撃ちました。リバイバル塗装のK47編成には残念ながら遭遇しませんでしたが、それでもなかなか来ることの出来ない場所なので活動した甲斐はあったことでしょう。特に越後湯沢以北は日中は定期列車が1時間に1本のため、その1本1本が貴重な存在です。
 次に向かったのは浦佐駅。ここでは1時間程度撮影を続けていたでしょうか。ただ、天気が徐々に悪くなって来ていたこともあり、16時頃には活動を終了。その後は予約していたみなかみ温泉街の宿へと向かい、旅の疲れを癒していました。
15-1.Last Runを見届けるにあたり
 一夜明けて06月15日。いよいよS9編成の本線最終走行日を迎えました。2007年03月28日に実施された300系J1編成の廃車回送同様に、予てから絶対に立ち会うと決めていたS9編成の本線最終走行。でも、心情的にはその日が来て欲しいような、来て欲しくないような…そんな複雑な気持ちでしたね。どこで撮ろうか悩んだ結果、「折角上越新幹線内を走るのだから、その『上越新幹線らしさ』がよく現れる場所で撮りたい」という結論に達し、上毛高原〜高崎間の有名撮影地を選択。ただ、私が撮ろうとしていた構図だと場所的に1人限定、辛うじて2人で撮れるか撮れないか…という状態でした。そのため、有名撮影地ということを考慮すれば早めの行動が重要になって来る訳です。そこで、当日は9720Cの上毛高原通過予定時刻である14時頃の3時間程前、11時には現地入りし万全の態勢で最後の時に立ち会うことにしました。
15-2.そして夢の向こうへ…
 宿を10時に出て、現地に着いたのは11時頃だったかな。幸い線路の真上の構図には先客が居なかったので、この場所で陣を張ることに決定。06月15日11時頃のみなかみ町上空は雲こそあったものの、太陽の光が降り注いで良い感じの天候でした。これならギリギリ持ってくれそう…そう思いながらカメラを出し、線路脇から405Cを試しに1枚。でも、その直後に西の空から湧いてくる嬉しくない雲を見つけてしまったのです(汗)。これは嫌な予感が…。
405C →   
そして、11時30分頃。遂にその予感は当たり、陽の光が西から攻め入って来た雲に遮られてしまいました。辺りは徐々に暗くなり、終いには雨さえも降り始める始末です(溜息)。
しかも、雨脚が半端なく強いこと。外に出たら数秒でずぶ濡れになる程の雨量でとても撮影出来る状態ではありません(汗)。これはかなり宜しくない状況です。それでも根気強く待っていると、12時過ぎには雨も小降りになり少しずつ撮影出来る天候となって来ました。が、それも束の間。またすぐに雨脚が強まり、車から出られない状況となってしまいます(焦)。こうなると徐々に焦って来ますね。止んでくれるように願う他為す術がないので、とにかく一縷の望みに託すしかありません。
 すると、13時前に辛うじて雨が上がってくれ、撮影出来る気象状態になって来たのです。ただ、雨のお陰で辺りは水蒸気で真っ白(汗)。近くの山でさえも霞んでいる状態だったため、遠くの山々が再び顔を出してくれる望みは殆ど零に近い状態でした(汗)。このままS9編成の通過時間となってしまうのか…。そんな不安を抱きつつ、本番前の練習に挑みます。
1324C通過:本番43分前 412C通過:本番31分前 323C通過:本番15分前
 本番43分前に通過した1324Cを撮影した時はまだ辺りは真っ白でした。しかし、驚いたのはここからです。空を覆っていた雲が徐々に散り始め、雲間から陽の光が射し始めました。本番31分前、薄日が射す中412Cが東上。手前の山に掛っていた霧が徐々に晴れ始めているのが分かります。これならば奥に見える山々に掛っていた霧も晴れてくれるかもしれない…そんな期待が持てました。本番15分前。時は徐々に迫って来ます。ここで後ろから323Cが通過。まだ所々に雲があったため、編成全てに光が当たらず。しかし、奥に見える山々に掛っていた霧は期待通り徐々に晴れて来てくれました。それから15分後の13時57分。…いよいよS9編成最終運転列車が接近。遂に別れの時です。
↑ 2枚とも、9720C   
その瞬間、私は心の中で思いました。『 S9編成、お疲れ様… 』と。本線を果敢に駆け抜けるS9編成の姿が過去帳入りした瞬間です。失敗すると当然後がないため、本当に緊張しました。特に、先述のJ1編成の廃車回送の時は緊張に負け痛恨の鼻切れをやらかしていますから余計にね。けれども、今度は同じ過ちを繰り返すことなく無事成功。撮った写真をモニタで確認した時の安堵感は今でも忘れられません。
9720C 上毛高原〜高崎間通過 →   
谷川岳の周囲の霧も100%とは言えませんが、それなりに山々が見える程度まで晴れてくれたので嬉しく思っています。一度雨が降ってしまったため、到着した11時頃と比べると確かに霞んではいますが、本番40分前の曇り様から考えれば十分でしょう。この天候の回復力には本当に驚きましたね。
しかも、S9編成が通り過ぎて15分と経たないうちに空は再び灰色に(汗)。いやいや、危なかったなぁ。こうしてS9編成のLast Runを無事に見送ると、私も次の目的地へ移動すべく撤収作業を始めました。
15-3.締めの獲物はEast-i
 上毛高原を後にした私は今度は安中市内へと南下。狙うは長野新幹線車両センターから上って来るEast-iことS51編成です。15日は偶然にも同編成の本線検測初日に重なっていたので、長野新幹線内で見ることが出来ました。今まで大宮や東北新幹線内では見たことがありますが、長野新幹線内を走るS51編成はまだ見たことがなかったので楽しみでしたね。安中市内の撮影地に着いたのは16時頃。1時間程練習をしていると17時20分頃にS51編成がやって来ました。
536E →       ← 7902E
斜光を浴びて駆け抜けるS51編成を無事迎え撃つことに成功。この辺りは車がないとアクセスが難しいため、良い収穫になったと思います。そして、S51編成の通過を以て第3回目となる上信越遠征の全行程にも漸く幕が下り、帰路へと就いた訳です。

▼.最終章執筆を終えて
 2009年05月下旬から06月中旬に及ぶ3度の上信越地方への遠征では、やはり何と言ってもE954形の上越・長野新幹線での走行とその最終運転列車を無事迎え撃つことが出来たのが一番の収穫だったと思っています。天候はその大部分が生憎の空模様ではありましたが、それでも満足のいく撮影をすることが出来ました。特に、最終運転列車通過時に天候が回復してくれたのは奇跡的なものだったと思います。
 ここに、この場をお借りして今回の遠征に関わって下さった全ての皆様に対してお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。また、いつも当サイトにお越し下さっている皆様には大変感謝しております。ありがとうございます。
 これからもご来訪下さる皆様方のご期待に添えることが出来るように努力して参りますので、当サイトを末永く宜しくお願い致します。 
 2005年06月の落成から丁度4年目の2009年06月、E954形Fastech360Sは遂に本線での走行試験を終え現役を引退しました。2009年03月より上越新幹線熊谷への乗り入れが開始され、この2ヶ月半は片時も目が離せなかったE954形。第12章の執筆を終えた際にも上越新幹線内若しくは長野新幹線内での走行試験の可能性については触れていましたが、その時に記した切なる願いもこうして無事叶えることが出来ました。今後いつから解体作業が始まるのか、また保存予定はあるのかなど、まだまだ気になる点は数多く残っていると思います。しかし、何れにしても本線を走行する姿を今後私たちが目にすることはもうないでしょう。だからこそ、そんなE954形S9編成に『ありがとう、そしてお疲れ様。』という言葉を今私は贈りたいです。
*** 最終章 惜別編 終 ***

2009.07.05 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS

◆.追記T
 2007年より執筆を開始したこの『 Fastech360に夢を託して 』は2005年06月に落成したE954形S9編成と2006年03月に落成したE955形S10編成を中心に取り上げた連載型遠征旅行記です。そして、最後まで残ったE954形S9編成の現役引退によって、遂にこの撮影紀行も最終章を迎えるに至りました。ただ、今後いつから解体作業が始まるのか、また保存予定はあるのかなど、まだまだ気になる点は上述の様に数多く残っています。そこで、私の方もE954形との永久の別れ…即ち廃車・解体の時期が過ぎ行く頃に『 Fastech360に夢を託して 〜 Epilogue 〜 』の執筆を決定。それで以って彼らの往年の活躍を振り返り、この一連の連載遠征旅行記を締め括ることにしました。従って、この連載遠征旅行記はまだ終わりではありません。上述の通り、" Epilogue " の公開は現在仙総所内でひっそりと余生を過ごしているE954形S9編成が廃車・解体の時を迎える頃を予定しています。

2009.07.05 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS

◆.追記U
 2009年07月05日にこの『 Fastech360に夢を託して 』の本編を書き終えてからはや4ヶ月。2009年06月15日にLast Runを迎えたE954形S9編成はその後暫くの間仙総所内でひっそりと残された時を刻んでいました。07月25日の一般公開ではE5系S11編成と共に着発線に鎮座し、来場者を出迎えてくれたのは記憶に新しいことではないでしょうか。しかし、それから一ヶ月後の08月下旬。…遂にS9編成は編成を解かれ廃車・解体場へと入場。その後2009年09月中旬までに全車両が解体の路を辿り、今ではもうその勇姿を見ることは出来ません。そこで、最終章公開時に執筆を御約束した『 Fastech360に夢を託して 〜 Epilogue 〜 』をこの度完成させ、彼らの往年の活躍を振り返ってみることにしました。
 次に続く " Epilogue " を以って一連の連載遠征旅行記は締め括られ、この撮影紀行も遂に完結となります。そんな次項の " Epilogue " は一連の連載遠征旅行記を締め括るのに相応しい内容となっていますので、どうぞ続いて御覧下さいね。

2009.10.25 THE SUPER EXPRESS since 1964 管理人 YOS



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